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テーマ:《障害者のつぶやき》(440)
カテゴリ:OPLL[後縱靭帯骨化症]奮闘記
昨日は9月16日でした ※オゾン層保護のための国際デー ※(International Day for ※ the Preservation of the Ozone Layer) 1994年の国連総会で「9月16日を 国際オゾンデーとする」ことを決議された 国際デーの1つ 1987年に「オゾン層を破壊する物質に 関するモントリオール議定書」採択された日 1999年までにフロンガス等の消費量を 半分にする方針が決定され 日本等24ヶ国が議定書に調印しました ※競馬の日・日本中央競馬会発足記念日 1954年に日本中央競馬会(JRA)が 農林省(現・農林水産省)の監督の下で 発足した日 それまでは農林省蓄産部が運営する 国営競馬でした ※ハイビジョンの日 通商産業省(現・経済産業省)が制定 ハイビジョンの画面の縦横の比率が 9:16であることから この日とは別に11月25日が 郵政省(現・総務省)とNHKが制定した 「ハイビジョンの日」となっています ※マッチの日 1948年にそれまで配給制だった マッチの自由販売が認められた日 参考(PC)http://www.nnh.to/09/16.html -------------------------------------- 今日は9月17日です *敬老の日(Respect for the Aged Day) 多年に渡り社会につくしてきた老人を敬愛し 長寿を祝う国民の祝日 1966年から国民の祝日「敬老の日」に なりました 「敬老の日」は兵庫県多可郡野間谷村 (現・多可町)の門脇政夫村長が提唱した 「としよりの日」が始まりです 「老人を大切にし年寄りの知恵を借りて 村作りをしよう」と1947年から 農閑期に当り気候も良い9月中旬の15日を 「としよりの日」と定め敬老会を開きました 1950年から兵庫県全体で行われるように それが全国に広がりました 聖徳太子が四天王寺に悲田院の建立日とか 元正天皇が養老の滝に御幸された日とかいう 俗説もありますがどちらも不確かです 「祝日法」の改正により2003年からは 9月第3月曜日となりました (今年は9月17日) ※モノレール開業記念日 東京モノレールが制定 モノレール浜松町~羽田空港間の 東京モノレールが1964年に開業した日 日本初の旅客用モノレールでした 遊覧用のものでは1957年に上野動物園へ 作られたもの(東京都交通局)が最初でした ※キュートな日・キュートナーの日 いつまでも若々しい「キュートな」大人を 「キュートナー」と呼ぶことを提唱している 作曲家・中村泰士が制定 「9(キュー)10(ト)7(な)」の語呂合せ 参考(PC)http://www.nnh.to/09/17.html ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 今日は9月の第3月曜日~敬老の日 私の両親が生きていたとすれば 父親は81歳で母親は76歳で 少し早い感じで旅立ったかな? 私がいるのは療養形の病院ですが (医療設備のある老人ホームのイメージ) それ故に御高齢の方が9割以上の感じ (80歳以上は当たり前という感じ) その中で出来るリハビリを頑張ってます 昼食は『鮭の黄身焼き』でした いわゆる肉で作るピカタのような感じ ただ衣にチーズは感じず鮭の塩味が いくらか感じたような気がします それにしても切り身は大きい感じでした 付け合わせのポテトは味が無さすぎかな 白菜と春菊の和え物は箸休めに良い感じ 切り昆布の煮物は切干大根・人参・大豆入り 味は程よくありご飯にも合う感じでした さて15~17日にリハビリもなく (15日土曜日はOTが出勤も忙しかった?) 特にブログに書くような事がないから 昔の話を少し書くことにします ちなみに今日は高知競輪場において 第23回共同通信社杯競輪決勝があります もちろん今回も車券は買っていますが 15年前の2003年広島競輪場の (まだ競輪専門新聞の会社に勤めている頃) 共同通信社杯競輪に当時広島へ住んでいた たまもさんと競輪を楽しんでいました その後お好み焼き屋で楽しく焼いていて 私は鉄板に手を付けていましたが気づかず 言われて気づくと指4本が火傷で水膨れ どうやらOPLLで延髄が傷ついていた? (OPLL→後縱靭帯骨化症・法定難病) この後は松山へ高速艇で移動して 伊予鉄道の坊っちゃん列車に乗りました 伊予鉄道の社長が日本一乗り心地が悪いと 言うだけあり台車は板バネ・椅子は木板 今考えるとあの腰への振動衝撃で 下半身不随にならなかったのは幸いかも? この後はたまもさんは広島へ帰り 私は松山へ宿泊→翌日高松へ向かい 高松琴平電気鉄道を見たり乗ったりして 夜のサンライズ瀬戸号で東京へ向かう 途中東海道線内で貨物列車が事故があり 2時間くらい遅れて東京に着きました この時には身体の不自由は感じないも 2ヶ月後(2003年11月)に 会社の帰りマスター(母親後夫)の居酒屋で 夕食を食べ少し雨の降る中に自転車で帰宅 途中の道が暗く停車して座ったまま 手を前に伸ばしダイナモをセットした瞬間 延髄(脊髄も?)が決定的に傷つけられたか だんだん力が抜けて自転車から滑り落ちた あまり普段人が通らない所に1人の男性が… 携帯電話で119番に連絡をしてもらい 傘を私にさしていてくれました 当日は雨降りで交通事故も多いために 救急車が来るまで約40分かかるも その方はずっといてくれました 私は首から下の情報が脳に来ないため 完全に道路に仰向けで寝ていますが 頭では自転車時の脚が曲がっているまま だから寝ていると足先が浮いている感じ? こういう意味では馬鹿正直かも? この後は地元の病院でMRI撮影後 OPLLと判断され東大病院へ転送 頚椎後方開放術(C2~C8)を受けました その後15年間紆余曲折がありましたが 現在のんびり八潮市の病院にいます 長々と失礼いたしました 夕食は『豚角煮』でした 少し小さめな角煮が2つありました 食べ口は意外に食べやすく味は薄め もう少し脂身があると満足したかな? 煮卵?も少し薄めな色がついていました 茄子の生姜炒めは茄子の細切りを使用して 程よい生姜の味も感じられました アスパラサラダはアスパラガスの他に コールスローを少量入れ混ぜている感じ 味が薄いのは否めない感じかも? (個人的にジャネフの小袋ドレッシング使用) 今日も食事を楽しめました 今の状態の自分では何もできない そのうちに出来ることが見つかり それが身体のためならなお良いけれど そんな時は来るのだろうか? 本日も1日ありがとうございました また明日もよろしくお願いいたします ブログの写真は楽天写真館で公開中 (PC・スマホのみ)→こちら By KOKU-CHAN Twitterは… http://twitter.com/KOKUCHAN1969 旅の申し込みは楽天トラベル お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2018.09.17 20:11:42
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