台詞の真髄 語尾にあり。
少し前の日経新聞(10/24 夕)の「TVな日常」欄に、大石静さんが面白いことを書いていました。いわく。俳優さんには、セリフを台本どおりにきちんとしゃべる人と、変える人がいるのだそうです。でも、脚本家としては、セリフの語尾に、その役のキャラクターがもの凄く出てしまうと思っていて、よって、とてもこだわって、書き分けているのだそうなんです。例えば、男と女が歩いている。その時、「寒いね」と「寒いな」と「寒くねぇ」という男では、全く性格が違ってくるのだ、と。だから、勝手に変えられてしまうと、作家の思惑が狂ってしまうわけですが、そういうことを指摘すると、撮影の進行も遅れるし、嫌われるのも寂しいし・・。だから、こんなコラムで、グチを言っています・・ということなんですが。深いなぁ・・と思いましたね。私もそういうディテールが、もの凄く気になります。だから、文章を書く時も、話す時も、かなり気を使っているつもりなんです。「それって、変!」と抗議したい時も、「変です」じゃあ、きつい感じだし、「変じゃないですか」だと、なんとなく、戦闘的な雰囲気だし。そう思って「変じゃないかなぁ~」とか言ったり書いたりするわけです。「なぁ~」をつけるところが、案外、ミソだったりするわけで。困る・・といいたいときも、「困ります」だと硬いし、「困るんです」というのも、なんとなく、3歩離れた感じだし、だから「困るも~ん」とか書くんですね。あるいは「困る・・かな?」と書きますかね。この「もん」とか「よん」とかは、結構効果あるのじゃないか、と。「かな?」と可愛らし気につけるのも、いいのじゃないか。「そんなこと言ったって、分かんないですもん」とか。「その点に関して、私は賛成できない・・かな?」なんてね。そうやって、私なんぞも気を使っているわけですが、でも、世の人々や我が周囲のみなさまは、こんな私の気遣いなんぞに、気づくこともなく、「いい年したオバサンが、なに言ってんだか」とか思っているのでしょうねぇ。じゃない・・かな??