老醜をさらした秀吉は62歳だった。
京都の話に戻ります。高台寺に立ち寄ったんですね。清水寺の近く、秀吉が没した後、妻の北政所が開創したお寺です。風の通る、静かで心地よいお寺です。伏見城から移設したりっぱな茶室もあるし・・。徳川家康は政治的配慮もあったのでしょうが、造営に際して、相当な財政的バックアップをしたのだそうな。ねねさんは、58歳で、ここに移り、76歳で亡くなるまで、優雅な日々を過ごしたわけです。彼女を慕って、大勢の大名、文人、歌人、禅僧、芸術家などが訪れたそうです。歴史に登場する女性の中で、最も恵まれた人生を送ったのは、ねねさんじゃないか・・と思うのですね。子どもは出来なかったけれど、夫は出世し、経済的には恵まれ、大勢の人々に慕われ・・。高台寺に移って、サロンの主のように過ごした晩年なんて、きっと、すっごく、楽しかったのだろうと思いますね。中高年女性の目指す、最高な生き方じゃないかしらん。一方で、老醜を曝して亡くなったと言われる秀吉、すっごい老人だったようなイメージがあったんですが、62歳だったんですよね。そうかぁ、62歳だったんだぁ・・としみじみ感じる方、多々ではないですかね。当時から、女は強し!・・だったのでしょう。因みにねねさんの命日は9月6日なんだそうです。★写真は、高台寺の竹林と庭。