アメリカでの安倍さん演説は、確かに評価はできるものの・・。
安倍総理の米上下両院合同会議での演説が話題になっている。「おわび」を入れなかったの「悔悟」と言ったの、「痛切な反省」と言ったのと、47分もの演説の小さな言葉に相変わらず外野はいちいちうるさいですが、それでも概ね好評のようで、満席の議場からスタンディングオベーションを13回も送られた事実もあって、日本のマスコミからもあまり悪口は聞かれない。ともかく、アメリカの議会で47分もの長い演説を英語で見事に行ったのだから、素直にお疲れ様でした・・と拍手するべきでありましょう。しかも、内容も、十分に考慮した印象はありますしね。ただ、私はテレビから流される映像をみながら、なにか割り切れない思いがありました。「先刻、私は、第二次大戦メモリアルを訪れました。」で始まる辺りで確かに崇高な原稿ではあり、戦争に倒れたアメリカの若者の、失われた夢、未来を思い「歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙祷を捧げました。親愛なる友人の皆さん、日本国と日本国民を代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼を捧げます。とこしえの、哀悼を捧げます」と結ぶのは、アメリカを訪問した一国の首相として当然なのかもしれないけれど、「しかし、日本では原爆や大空襲で、何十万人もの罪もない、武器を持たない、無抵抗の子供や女性やお年寄りが無差別に無慈悲に残酷に殺された」というその歴史的事実には、誰も触れないし、反省もお詫びも悔悟もないよね・・とついつい思ってしまうのでありますよ。あの場で原爆に触れよ・・と言っているのではないのです。東京大空襲について語れ、と言いたいのでもない。でも歴史にきちんと向き合うべき、とアメリカサイドも言うならば、もうひとつの、日本人の身に起こった歴史的事実も、しっかりと世界で向き合ってもらわないと。でないと亡くなった方々は浮かばれないでしょう。しかし、日本の政治家もコメンテイターもマスコミも決してそこには触れようとしない。触れず、思い出さぬふりして、アメリカの議会で我らが首相が「痛切な反省」と「深い悔悟」を表明したことに拍手喝さいする日本って・・。なにか、やっぱり、割り切れませんよね。戦後70年経っても、敗戦国の立場から抜け出せないのですかね。