少女監禁事件。もう、詮索は止めそっとしてあげよう。
2年間、行方不明だった朝霞市の女子中学生が、監禁されていた男のアパートからようやく逃げだし、無事、両親の元に帰った・・事件、無事に帰れて、ほんと、よかったよかった。今やTVも新聞も、この事件の後追い報道一色の様相で、どういう風に監禁されていたの、コンビニぐらいは行けたの、男が生理用品を買ったの、大声は出せなかったのか、だの、あらゆる媒体であれこれ、詮索しています。人里離れた一軒家に閉じ込められていた、というならともかく、街中の安普請の若者向けマンションに、誰からも気づかれることなく少女は男と暮らしていた・・と言う衝撃的な事実を知って、いったい、どういう実態だったのか・・という世間やマスコミの関心はよく分かります。しかし、もう、その辺の詮索は打ち切るべきではないですかね。詳細が広く報道されることで、きっと少女はよりいっそう傷つくはず。日本中の人に、これからもずっと、ああ、あの子はあんな生活をさせられていたのね・・と好奇の目で見られかねない。そういうのって、当人も家族も耐え難いのではないか。これ以上、傷つけては、あまりに可哀想です。それにしても、気になったのは、息子を国立大の附属中・高に入れるくらいの家なら、さらに千葉大工学部に進み、2部屋もあるマンションに下宿させ、途中、NYで飛行機の免許を取るくらいのことをさせてあげる家庭であれば、両親ともに教育熱心で、家族関係も密なんだろうと想像してしまいますが、そういう親でも、息子の下宿に顔出すようなこと、しなかったんですかね。昔は、母親ってのはうるさくて、下宿していても、ちょくちょく来ては、部屋が汚い、だの、ちゃんと食べてるのだの、あれこれ口出して、掃除して洗濯して、冷蔵庫に手作りお惣菜なんぞ置いて帰ったものではなかったか。そういうことができなくなった風潮があるんですかね一億総・家族といえど干渉しない症候群・・というのか。家族の繋がりが薄くなっている弊害が、ここにもあった・・という印象。話はがらりと変わりますが、今や高齢者の単身世帯が600万人だそうです。1980年に60%だった三世帯同居が、今や13%にもなっているとか。一人用の狭いアパートが増え、年金で暮らせない老人が増え、待機児童問題がクローズアップされるわけです。一見、特殊な事件の背景にも、やっぱり、日本の構造的問題が影響してる・・と考えるのは、考え過ぎですかね。