「お見合い」復活で、若者は結婚へと動くのだろうか?
今朝の産経新聞の記事。 厚労省の人口動態統計によると、20155年の婚姻件数は63万5156組と、 戦後最少の値となったそうです。 その原因と言えるのかどうかはともかく、 恋人のいない若者が急増中で、交際相手のいない未婚者(18~34歳)が男性で69,8%、 女性は59,1%と、前回調査と比べて男女とも10ポイント近く増えているのだとか。 彼らは「いずれ結婚するつもり」と結婚への意欲は十分あるものの、 「恋愛は面倒」だし、そもそも出会いがない・・と考えているそうで。 記事は、かつては親戚や会社の上司が背中を押す場面がよく見られた、 と「お見合い」の復権と、いろいろな場所に夫婦で出席するのが 当たり前の文化を根付せる等、結婚したくなるような環境づくりを提唱して結んでいましたが。 この記事に対するネットのコメントは、いずれも同じようなもので、 「結婚できるほどの収入が得られない」「自由な時代だから、いいんじゃない」 といった白けた意見が大半で、まとめると、 「恋愛なんて別にしなくてもいいし、異性と接するのが苦手ならそれはそれでよい。 結婚するしないは個人の問題でそれが少子化につながろうがそんなことはどうだっていい」 って意識なんだろうと推察されます。 収入云々を考えれば、昔はもっと、若者は貧乏でしたよ。 私の親なんか、三畳のアパートにせんべい布団一組でスタートした、と言ってました。それでもみんな、当然のように結婚したわけです。 恋人がいないのも、昔も一緒で、出会いだってなかなかなかったですよ。 ただ昔は「結婚してようやく一人前」という社会の認識ががっちりあって、 当人も周囲も焦って相手を探したものです。 それがいつの間にか、一人でも不自由なく暮らせるし、むしろ面倒がなくて気が楽・・ ということに世間も若者も気づいてしまった・・。 もちろん、幸せな結婚には憧れるけれど、何が何でも・・ではないのでしょうね。 子育てというのも、大変そうだし・・と。 そういうことではないか、と私は考えています。 しかし、生物体というのは子孫を増やすために生きていくもので、 人間のこういう考えって、本来、異常であるはずなんですね。 どこかで修正しないと、素晴らしいDNAが、どんどん継承されずに途絶えていってしまう。 世の中、長いこと生きてきて、シニア世代はハラハラするわけですが、 じゃあ、お世話しましょ、と動こうとしても、うまくいったことがない。 どうも、世の中全体が「高望み」になっているのではないですかね。 「お見合い」の復活は難しいかも・・なんか、そんな気はします・・。