ミャンマーの動向にも目を向けよう
国軍のクーデターで混乱状態のミャンマー。軍は、強引だろうが、国際的非難を浴びようが、ここで一挙に統治権力をものにしようとしているのでしょう。治安部隊による、デモ参加者への弾圧がエスカレートしていて、家にいた子ども達まで犠牲になっている。武力で抑え込みながら、無力のデモ参加者を「テロ」呼ばわりするところ、何をかいわんや、です。 おそらく中国が後ろで動いているだろう軍隊に、市井の市民の抵抗が敵うわけがない。なんとかならないのか、と心を痛めていますが、世界の動きは、もう一つ、緩慢です。 40年近く前、ミャンマーで暮らしていました。その頃はビルマと名乗っていて、今も貧しいですが、当時も貧しい国でした。駐在の商社マンの方々の話では、その25年前は自由で盛んな国だった、ということでしたから、大きく衰退していたわけですね。軍事社会主義国ということで、軍の関係者だけ利用できる店があったり、相互監視制度があったり、初めての海外生活でしたが、「社会主義というのは、不平等でどうしようもないものだ」としみじみ学んだものです。当時、日本は社会主義への夢があって、社会党に勢いがあった時代でしたが。 その頃もミャンマーは貧しく、人々が生きにくい国でしたが、その後益々混乱は増し、弾圧は進み、人々の生活は全然よくならなかった。それは、長い期間、ずっと続いたものです。 親しくしていた弁護士氏も、娘さん達を海外に逃していましたが、当人は訳の分からない理由で何度も拘束され、どこに収監されているのか家族にも知らされず、結局、家族が父親と会えたのは、亡くなってからでした。医学部を出て、日本とインドネシアで医者として生活していた三女は、父の収監を知って慌てて帰国しましたが、その後パスポートは取り上げられ、医師免許もはく奪され、通訳として細々生計を立てていると聞いています。 スーチー女史の一党が力を得て、ミャンマーがよくなったのかどうか、その辺はよく分かりませんが、少なくとも多くの企業が進出し、国力も生活も、少しずつ上昇していたのだと見ています。日本の期待も大きく、ANAなんか、ローマ直行便を廃止して、ミャンマーへの直行ルートを新設したくらいで。 でも、長年、やりたい放題だった軍部は、いずれ権力を取り戻そうと、狙っていたのでしょうね。身に付いてしまった権力の旨味というのは、手放しがたいものなのでしょう。 一方で、人々は、軍による恐怖政治は二度と御免だ、と強く拒否している。穏やかな性格のビルマの人々の激しい抵抗は、それゆえでありましょう。 さて。日本。今朝も朝から、桜の開花で人手が増えている話題や、森元会長の「女性というにはお年」発言の問題視や、ズズズと啜るのはいかがなものか、という問題提議や、「はだいろ」という言葉は差別用語じゃないか、という話題や、コンビニスィーツの話題で華やかでありましたっけ。 それらの話題がいけないとはいいませんけど、なんともおめでたい。もう少し、世界の悲惨な現実に目を向けるべきでは・・と、そこは思いますね。私達もですが、政府やメディアも。