老人は自決しろよと、言ってしまえる社会って。
最近、TVのコメンテイターとしてよく見る成田悠輔氏が、You tubeの番組で「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」と主張したことが、物議を醸しているようです。経済学者で米イェール大学のアシスタント・プロフェッサーという触れ込みの方ですよね。TVタックルでも「とびきり頭脳明晰な学者さん」的な立ち位置で発言されていた。 高齢者は、集団自決しろ、切腹しろ、って、仮に自民党系政治家がチロとでも発言したら、政権が吹っ飛ぶくらいの過激さでしょう。 でも何故か、彼の場合は、「これは切り取りだ」「比喩として使っただけで」「彼はメタファーとして発言しただけ。言わんとすることはもっともだ」と擁護する声が多い。 当の成田氏自身が「メタファーでなく、例えば三島由紀夫の切腹は・・云々」と解説してたりするんですけどね。 過去の雑誌掲載の論文で、政務官職を下ろされ、「差別主義者」のレッテルまで貼られた感じの杉田水脈議員の「LGBTは生産性がない」も「生産性」は確かに無神経な使い方ですが、「集団自決」「切腹」と比べれば、よほど穏やかだったんじゃないですかね。 何故、擁護する声が多いのかと考えると、少子高齢化、若者層の貧困、医療費、年金等々、高齢者が多くなっていることでの課題が、大きいからなんでしょう。あんたらのせいで日本が衰退しているのに、態度、でかいんじゃね・・みたいな。 私も高齢者の端くれなんで、言わせてもらいますが、子供の頃も若い頃も、私達、貧しかったですよ。子供の頃、私の冬のコート(安物なのに)を親は月賦で買っていたし、ストッキングを引っかけたら、糊をつけて使い続いましたっけ。県立高校→国立大学に進んだのだって、私立の選択肢はなかったからで。結婚してからだって、共稼ぎなのに、決して裕福では無かった。 おそらく私だけではなく、社会全体が貧しかったんだと思いますね。そんな中、国中みんなが働いて、働いて、日本はある程度の豊かさまで到達した。曲がりなりにもG7の一員となり、世界から一目置かれる国になっているのは、今、「高齢者」と言われる人達ががむしゃらに頑張って来たからでしょう。 そして人は、いつの間にか高齢者になっている。どんなに頑張っても、善行しても、鍛えても、努力しても高齢者になる。誰もが通る道です。確かに若い頃より蓄えは出来たんでしょうけど、今度は体のアチコチにガタが来ている。病院に行くと、「ここを検査しろ」とすぐに言われる。「薬を続けてください」と大量の薬を処方される。医療費負担で、高齢者が目の敵にされていますが、過剰に検査し、過剰に投薬しているのは、医療側の事情もあるのではないですかね。 成田氏達が怒るような「権力を譲らない年寄り」はいるだろうし、「裕福な高齢者」ももちろんいるわけですが、大半の高齢者にとって、年金は生活するに決して十分ではない。でも、働こうったって、仕事はないし、肉体労働するには、体がついていかない。だからみんな、質素に暮らしてますよ。真面目に慎ましく、孫の世話を一生懸命手助けしながら。そして、ますます老い、体が動かなくなっていく。社会に貢献もできなくなっていく。 そういう世代に向かって、「集団自決しろよ」「切腹しろよ」あんたら、役立たずの老害なんだから、とぶつけるのは、比喩だろうが、隠喩だろうがメタファーだろうが、あまりにも無神経だし、絶対、口に出してはいけないのでは想像力、なさ過ぎ。 老いることは悪ではない。高齢になって生きながらえているのも、罪ではない。そして誰もかも、みんな、必ず年寄りになる。 そう考えれば、社会ももう少し、優しくなるのじゃないですかね。