ノイジィマイノリティが空気を作っていく?
NHKの『ブラタモリ』が終了するそうですね。残念。そのタイミングである地方の大学の先生が、「ブラタモリは、タモリさんが上から目線で女性アナに蘊蓄をたれる、マンスプレイニング番組だった」という説を発表。それがネットで話題になっていることに対して、とても興味深い分析をしている方がいました。 「正直、多くの人がポカンとするような、世間に全く刺さらない「ブラタモリ批判」でしたが、ではナゼこんな話題を記事で取り上げるのか。こんなの相手にしなくて良いだろ、と思われるかもしれませんが、違うんです」と。 世の中の多くを占める「まともな人」は、ノイジーマイノリティに対して「アホだな」と感じつつも、バカバカしいから、わざわざネットで反論や指摘を投稿したりしない。でもネットとは、投稿した人だけが存在する世界であり、黙っている人、投稿しない人はゼロカウント、存在していない世界である。 その結果、ネットは雑で的外れなノイジーマイノリティで溢れかえり、まるであたかもそれが主流意見であるかのように錯覚してしまう。最終的に世の中が妙な方向、ズレた方向に向かって走り出す可能性がある・・」。 ある部分、言えてますよね~。さらにいえるのは、ノイジーマイノリティがガンガン投稿する。→ それをメディアがチェックし、世の中、こういう意見で湧き上がっている、と判断する。→ TVや新聞、雑誌で取り上げ、いかにも正義であるかのように持ち上げる。→ ひとつの番組が取り上げると、「これがトレンドだ」とばかり雪崩のようにどこもここも、同じテーマを取り上げる。→ 世の中、そういうものだという空気に染まっていく。 という流れになるのでしょう。 もちろん、そのおかげで埋もれていた小さな声が、世間を動かし、不正が正されたり、弱き人達を救えたりすることもあるのでしょうが、くっだらないことが正当化されてしまう弊害、多いよね~。 「くだらないとみんな判っているような事でも「違いますよ」「アホですね」とネットでいちいち明確に指摘することは、それなりに必要な行為なのです」。筆者、小木曽健(国際大学GLOCOM客員研究員)氏は書いているのですが、それはそれでハードルが高い。 本来なら、メディアがまともな判断をして、調整していけばいいのだろうけど、目下最もその能力に欠けていて、ネットの空気に振り回されているのがメディアですからね。 世の中、ずれていくわけだ。