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大地震に飛行機事故と、悲惨な幕開けとなった2024年ですが、 それでも松の内は静かに明け、門松も片付けて明日から通常生活再開です。 年を取り、年々、少なくなっていく年賀状ですが、 今年、特に目立ったのが「賀状終い」通知が多かったこと。 「賀状終い」のフォーマットがあるのでしょうね、 同じ図柄の同じような文面が、何枚もあったりする。 高齢になって、もう年賀状は書けませんので、という方もいれば、 まだまだ若いのに、「今年で止めます」という方もいる。 賀状終いの通知を受けて、その都度、迷います。 じゃあ、こちら側としては、どう対応しようか、と。 あら、そうですか、とばかりピタッと出すのを止めるのも、 なんだか世知辛い気がするし。 高齢故のことなら、賀状が届かなくなるのも寂しいだろうから、 こちらからだけでも送り続けようか・・とも思うし。 でも、止めますというのは、「お付き合いを切りたい」ということなのかもしれない。 なのに送り続けたら、迷惑だろうな、とも思うし。 「長々、お付き合いをありがとう」などと書いてあったら、 さすがにこれ以上、こちらから出すわけにもいかない。 日頃も頻繁に会っている人ならいいんです。 お互い、無駄を無くそう(無駄とは思わないが)という意図だと納得できる。 どうにも割り切れないのは、賀状のやりとりを止めたら、 確実に繋がりは切れてしまう方ですね。 なんらかのご縁で昔、付き合いがあって、それ以降は会うこともないわけだけれど、 それでも年に一度お互いの消息を知らせ合うことで、 ああ、元気にしているんだと安心し懐かしむ。 それだけのことだけれど、それはそれで貴重なことで、 賀状には少なくともそういう役割はあったはず。 やりとりを止めてしまえば、お互いの生死だって、 もう、分からなくなってしまうわけで。 「それでいいじゃない」と言われれば、その通りなのだけれど、 今の時代、パソコンとプリンターがあれば、年賀状なんて数分で出来てしまう。 400枚程度なら、1日も掛かかりませんよ。 それだって「面倒」であることはその通りであるし、 我が家だって、いずれはお終いにせざるを得なくなるわけですが・・。 止めることで失うものも、大きいような気がするのは、私だけなんだろうか。 そうやってスッキリしない気持ちを引きずりながら、 「止めます」通知を受けると、「こっちはどうするか」と 悶々と迷い、人によっては、数年、送り続け、 そっと波が引くようにこちらも撤退する。 最後に「うっかり送らないよう」、住所録から削除。 ・・のパターンを繰り返しています。 人生の営みの中では些細なこと、と言えばその通りだし、 割り切って考えればいいだけのことだし、 メールやLINEで十分じゃない、と考える理屈も分かる。 それでも、なんだかなぁ・・と一抹の寂しさはありますよね。 郵便料金が大幅に値上がりするので、賀状終いは、加速するのでしょう。 暑中見舞いはすでに廃れ、年賀状のやりとりもいよいよ無くしていく日本。 日本人は、空いた時間をどこに向けていくつもりなのか SNSのチェック 芸能人のお自慢インスタグラム覗き いいねのクリック それも時代だ、と言われるなら、そうなんでしょうけどネ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.01.08 17:34:32
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