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KAY←O -ノックアウト-

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***君の世界***


 窓側の前から二番目。それが彼の特等席。どんなに席替えをしたところで、彼はそこから動かなかった。目の悪さを理由に。
 けど誰も文句は言わない。それは彼がまるで害のない存在だからだ。一番後ろを乗っ取ったならまだしも、前から二番目なんて、取られて困るやつは誰もいない。
 彼はいつも黙ってひとりで本を読んでいる。だから目が悪くなったんじゃないかと思うのだけど、誰も突っ込んだりしない。それは誰も彼に関心を抱いていないからだ。このクラスに彼はいないも同然。ではなぜそこに彼は存在するのか。

 それは俺がそこに彼を存在させているからだ。

「は?」
 放課後、空いた窓側の一番前の席に座り、俺は消えようとする彼をすばやく捕まえた。
 彼の声は思ったより低く、俺は少しだけ驚いた。
「俺が、思ってるから、君はここにいるんだ」
 彼は視線を一瞬、掴まれた腕に向けた。だがすぐに浮いていた腰を元に戻すと、手を振りほどくでもなく、俺の瞳を覗いた。
「それ、証明できるかい?」
 彼の目が一瞬煌いたように見えたのは、俺がそう願ったからかもしれない。
「証明は難しいな。だけど、誰にも知られず、無人島にひとりきりで過ごしている人は、この世にいないも同じだろ? 自分が、自分は存在していると思うことは自由だけど、それこそ証明できないよね」
 合っているかどうかはともかく、この答えは彼をつなぎとめるのに十分だったらしい。彼は自分の腕を俺の手から静かに開放すると、改めて俺を見つめた。
「君は、哲学が好きなの?」
「君が、好きなんだよ」
 俺は鞄から一冊の本を取り出した。それは以前彼が3週間かけて読んでいた本だった。
「君が何に夢中なのかと思って、読んでみたんだ。君が3週間かけて読んだこの本を、俺はその6倍かかって読んだ。まだ全然理解できないけれどね」
 読み終わったら君に話しかけようと思っていたんだ。と言うと、彼は少しだけ目を見開いた。
「なぜ君は僕をこの世界に存在させるんだい」
 まるで僕はこの世に存在しなくても良いと言わんばかりの口ぶりだった。
「なぜだろう。君が俺にそうさせるからじゃないかな」
「僕が?」
 心外な。と、彼は眉をしかめた。
「だって君は、いつだって同じ場所にたたずんでいただろう? 誰か僕の存在に気付いてって叫んでいるようだったよ」
「……僕は、そんなこと思っていないよ」
 彼の返しに、俺は口端をゆがめた。
「さっきも言ったろ? 自分がそう思うことは自由だけど、証明できないよね。自分がどう思うかで世界は決まるんじゃなくて、俺がどう解釈するかに君の心が反映されるだけなんだ」
 彼は、まいったね。と天を仰いで笑った。俺は机の上に置かれた彼の生身の手肌に触れた。
「肉体だってそうだよね、俺が君に触れる。触れられるからその存在を認識する。と同時に、俺は俺の肉体も認識できるんだ。どっちも透けてない」
 俺は彼の手を引き寄せて、その唇に口付けた。唇がそこに存在することを認識するために。
「君は同性愛者なの?」
 彼は少し戸惑った顔をしていたけど、俺を殴ったりはしなかった。
「まあ、異性愛者から見ればそういうラベル付けになるね」
「自分はそうではないと?」
 言ってから彼は、先ほどのやり取りを繰り返していることに気付き、自嘲気味に笑った。
「俺は俺だと思ってるよ。ただ、今、ここにいる俺は、君が見た俺であって、君が俺は同性愛者だと思っていれば、俺の一部は“同性愛者”ということになるだろうね」
 夕陽が俺たちの世界をオレンジ色に染めていた。俺が見る夕陽は、俺の思いの中に溶け込んで、俺中にしか存在せず、彼の見る夕陽は彼の中にしかない。俺たちは別々のものを見て同じラベルを貼るのだ。
「君の世界に、俺は存在するのかな」
 俺は彼の手を掴んだまま、俺の中の夕陽を眺めた。
「君は今、ここにいるだろ」
 彼は繋がれた手を見つめた。
「これは俺の中にしかいない俺かもしれない」
「それじゃあ、君の中にしかいない僕がいくら言ったって空っぽだ」
「俺の手は存在する」
 俺は触れた手に力を入れた。
「俺の唇も存在する」
 彼はさっきしたキスを思い出し、たじろいで頭を少し引いた。
「満遍なく触れたら、きっと君の中に俺は存在できるよね。俺も自分の身体を認識できるだろ」
 彼はにっこりと笑う俺の手を、半ば強引に離すと、呆れた目を向けてきた。
「なんで僕が君の存在を証明しなくちゃいけないんだ」
「そう。じゃあ、俺はこれまでとおり俺の中で創造したお前とセックスする」
「それはきわめて不快だな」
 彼は、手を離した反動でずれた眼鏡を直すと、フレームにかかる眉をしかめた。
「だろ?!」
 俺は彼を指差して確認すると、立ち上がって鞄を掴んだ。
「だから、本当の君を想像して、嘘がないようできるようにお手本見せてよ」
 手を伸ばして、彼にも立ち上がるよう促す。
「お手本って……万が一それを実践したとして、それはその瞬間の僕でしかなくて、結局君が想像するほかの部分は、君の中で創造された僕でしかない」
 彼は、まるでその世界から出たくはないと言うように、窓際の前から二番目から離れようとしなかった。
「もちろんそうさ。だけど君は、俺の中で勝手な君を創り出すことが不快だというのなら、あらゆるパタンの君を教えてくれないと困るね」
「そんなの……」
 不可能だと言う彼の手を引いて、彼の世界から彼を引っ張り出した。
「俺の世界の中の自分を見てみたくない?」
 自分の世界を振り返ろうとする彼の顔を、自分に向ける。彼の目に、俺の瞳に映った彼が映っていた。
「もちろん、君の世界に何を描こうと、それは君の自由だ。でもたまには、誰かの存在を証明してみても、いいんじゃない?」
 俺は彼から手を離して2、3歩下がる。夕陽を背に、オレンジ色に染まる「今」の彼を目に焼き付けて、じゃあまたね。と言って教室を出た。
 だけど俺には確信があったんだ。俺は今ここにいる。それは誰かが俺を存在させている証拠だ。
「まって」
 彼が鞄を持って教室のドアを開けた。

 世界の殻がパチンと弾けた。

■おしまい■


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最終更新日  2008年12月10日 17時32分55秒
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