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KAY←O -ノックアウト-

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「あれ? 何、今日来ないの?」
 ヤツからメールが来たのは、夜8時を過ぎた頃だった。
「まだ会社。今日は真っ直ぐ帰るわ」
 さすがになんだか顔が合わせ難くて、会社でぐだぐだと時間を潰してしまった。
「そっか、おつかれちゃん。明日、何か食いたいもんある?」
 明日。と言う単語に、心臓を直接つかまれたような気がした。バレるはずはないと言い聞かせてみるけど、どこかに不自然な文があったんじゃないかと、何度も送ったメールを見返した。

 いつもの出勤時間より1時間前に、後輩と公園で別れた。別れ際に後輩が、
「今夜は彼女のところに行くだろうから、大人しく帰る。でも明日は、会ってくれるよね」
 不安げな表情で見上げてきて、俺のコートの袖口を掴んだ。
 俺はどう言って断るべきなのか迷って、掴まれた自分の手の辺りに視線を彷徨わせた。手を握られたわけじゃない、布をちょっと指で摘まれているだけなのに、曖昧な返事では振りほどけない気がした。そもそも断りたいのかどうかもわからなくなっていたんだけど。
「明日は、その、記念日で。あの、3周年? の。だから……」
「あ、バレンタインにコクられて、つきあっちゃったりしたんだ」
 恋人の話なんか出したら、悲しむか怒るかするんじゃないかと思って、恐る恐る口にしたんだけど、後輩は案外普通の顔で、むしろ笑ったように見えた。
 相手の話をするのは大丈夫なんだ。
 ひとつ説明する糸口を掴んで、少しだけテンションが上がった。
「や、たまたまその日だったってだけで、あんまりバレンタインとは関係ないんだ。そういうの、割と無頓着だから、アイツも俺も。だから記念日って言っても、明日のことも、まだ特に約束しているわけじゃないんだけどさ、ほら一応」
 ヤツみたいにこういうシチュエーションに慣れてるやつは、きっとこの場も上手く対処できるんだろうけど、俺は相手の気持ちとか計算とか全然できなくて、とりあえず思いついたことを思いついたままに言うしかできなかった。
「あ、じゃあ私、プレゼント選んであげる。どうせ彼女に何も用意してないんでしょう? プレゼント買ってびっくりさせてあげなよ」
「え?!」
 全く予想しなかった<プレゼント>というキーワードに、こっちがびっくりした。確かに記念日とか言うわりに、ヤツへのプレゼントは何も用意していなかったし、バレンタインに何かやったこともなかった。
 ―――それも悪くないな。
 そうぼんやり思っていたら、ね? 決まり。と、俺の小指を小指に絡めて、無理やり約束させられた。

 キスしてしまった事実を思い出し、後ろめたさに襲われたのは、既に後輩と別れてからずいぶんと経ってからだった。俺は近所の喫茶店で朝食を取り、後輩はどこかへ消えて、俺が出社する時には、受付に普通に座っていた。おはようございます。と他の人と全く同じように言われて、俺だけがなんだかぎこちない会釈になってしまった気がする。いつも、どうしていたんだか思い出せなかった。

「ごめん、ちょっと会社でトラブルがあって、明日も出社しなきゃなんないんだ。だからもしかしたら行けないかもしれない」
 そうメールを打ちながら、携帯を持つ自分の手が細かく震えているのがわかった。意識しないようにすればするほど、震えは大きくなっていくような気がする。
「大丈夫か? 朝も早かったんだろ? 焦ってると思うけど、ちゃんと時々休憩入れて、水分も取り忘れるなよ」
 ヤツの返信を受けて、俺はデスクに突っ伏した。
 ―――やっぱり今からでも断ろうか。
 デスクに顔をつけたまま横を向いて、携帯で後輩のアドレスを呼び出す。だけど俺の親指は通話ボタンの上を何度も彷徨っただけで、結局押さなかった。
「プレゼント、買いに行くくらい……」
 パチンと携帯を閉じてため息を吐く。言い訳だってことくらいわかっていた。だけど俺はこのチャンスを逃したくないとも、心のどこかで思っていたんだ。

 2月15日は嫌味なくらい晴れ晴れとして、暖かい日曜日だった。
 後輩は全体的にピンクっぽい感じに、なんかモコモコのエスキモーみたいなブーツをはいてきた。それ面白いね。って言ったら、かわいいでしょ? って返された。あー、確かに、かわいい。雪国の子どもみたいで。って言ったら、右腕を思いっきり叩かれた。
 どこいく? って聞きながら、腕を組んでくる。その行動があまりに自然で、俺は拒否するタイミングを失って、腕を取られたまま歩き出した。脇乳が……
「どんなのがいいか、考えてきた?」
「え?」
 乳に気を取られて聞いてなかったら、腕を組んだまま、「もう!」って、腰で腰をグイッて押された。
「プレゼント買うって昨日決めたんだから、普通、一晩考えるでしょ?!」
 ……怒られた。
「ごめん」
 とりあえず謝っとく。後輩は、いいけどさぁ。と言って、ちょっと俺を見上げた。
「で、彼女は何か趣味とかあるの?」
 聞きながら、ベストジャケットのポケットから、キラキラするものがいっぱいついた、ゴテゴテっとした携帯を取り出した。
「趣味……うーん、最近は何か料理にはまってるみたいだけど」
「料理ぃ?! ふーん、それ、サインなんじゃないのぉ?」
 俺が何の? って聞くと、先輩鈍いなぁ、彼女がかわいそー。と言って、一瞬携帯から目を離して俺を見上げた。
「結婚に決まってんじゃん」
「ぶ」
 口から何か出そうになって、左腕で唇の端を拭う。
「や、それはないから」
 俺が笑って言うと、そー思ってるのは先輩だけかもよー? と呟いて、また携帯に視線を戻した。……ありえないから。
「料理するなら、キッチン用品のかわいー店がこの辺にあるみたいだから、行ってみようよ」
 後輩がさらに身を寄せて、携帯の画面を俺に見せる。覗き見防止シールが貼ってあって、正面からじゃないと見えない。目を凝らしていたら、後輩が身体を捻って、携帯を持った右手を俺の目の前に突き出した。右乳も、腕に当たった。

 キッチン用品って、鍋とやかんとまな板と包丁だけじゃないんだ。にんにくの皮専用むき器とかチーズおろしとか、バナナケースなんてものまであって驚いた。ヤツを連れてきたら、ここで半日くらい遊べそうだ。
「あ、これかわい~」
 後輩が手にしてたのはイチゴの形のペッパー&ソルトミルセットだった。
「ぷ」
 俺は、ヤツがそれを持って、鼻歌歌いながら料理しているところを想像して吹いたのだが、
「え、何で笑うの?」
 後輩はそれを両手に抱えたまま、自分が笑われたと思って怪訝そうな顔で俺を見た。
「あ、ごめん。ちょっと可愛すぎるなと思って。っていうか、それ、気に入ったんなら買ってあげようか?」
 あまりに大事そうに抱えてるから、欲しいのかなと思って聞いたのに、後輩は首を振って、それをそっと元に戻した。
「あたし、料理できないし、実家だから、こういうのもうあるからいいの」
 ちょっと拗ねたみたいに言う姿が可愛くて、思わずポンポンと頭を叩いてしまった。
「アイツも、料理始めたのホント最近だし、なんか急にはまったんだよね。やりたいと思ったらやればいいんじゃね? これだったら飾ってるだけでも『かわい~』し、アイツには似合わねーけど、お前なら似合ってると思うよ?」
 後輩の言い方を真似して言うと、笑いながらパシンと腕を叩かれた。
「でもいいの、先輩には後でもっと高いものおねだりするから」
 ほら、その前にプレゼントプレゼントと、言いながら、「高いもの」に、うえって顔をした俺の手を引っぱった。

 結局、そういえば、いつだったか、ちらっと、圧力鍋があれば時間短縮できるのに。と、ヤツがこぼしていたことを思い出して、それを買った。
「何か、色気ないね」
 ドーンと墨で「圧力鍋」と書かれた箱を指でツンツンしながら、後輩がボヤいた。
「そうかぁ? これ、圧力かけてほっときゃできちゃうんだろ? その間イチャイチャできる時間増えんじゃん。色気ばっちり」
 半分冗談のつもりで言ったんだけど、後輩の動きがピタッと止まった。2、3歩前に出てから気づいて、笑ったまま振り向いたら、泣きそうな顔してて焦った。
 そうだった、俺、こいつに告られてたんだった。いつのまにか一緒にいるのに慣れてて、気づけば妹と一緒にいるみたいな感覚になってしまっていた。
「ごめん」
 箱を左手に持ち替えて、右手で彼女の手を引いてレジに向かった。
「先輩、困ってるよね。あたし、調子乗りすぎてる?」
 レジでポケットから財布を取り出すときに、つないでいた手を離して、荷物を左手で受け取った後、うつむいたままの後輩にチラリと視線を遣って、右手をどうるすべきなのか考えていたら、後輩がそう言い出した。
「や、別に困ってはないし、プレゼント一緒に探してくれて、助かったよ。そもそも言われなければ気づかなかったしさ。昨日のチョコのお礼も言ってなかったし、ホワイトデーは奮発するよ」
 右手で小さくガッツポーズをとると、そのままさり気なくポケットにしまった。
「あ、もちろん、今何か食べたいものあったら奢るし」
 そう付け加えると、やっと後輩が顔を上げた。
「先輩、あたし、ホワイトデーはいらないから、今、欲しいものがある」
「あ、そう? まあ20万のバッグとかじゃなければ……」
 俺が苦笑いすると、後輩は5000円くらいだったらいい? と、右腕に絡み付いて来て首を傾けた。冷静に考えるとお返しに5000円は高いと思うんだけど、万単位で要求されると思って構えていた俺は、それくらいなら……とか言っちゃった。
「うれしー」
 後輩は、えへへ。って感じで照れたように笑うと、再びゴテゴテした携帯を取り出し、何かを検索しはじめた。
「ちょっと歩くけどいい?」
 携帯画面を見ながら、そう聞く後輩に、そっちが大丈夫なら。と答えた。店内で結構連れまわしちゃったと思ったけど、元気だなぁ。
 ときどき角で立ち止まって携帯画面を確認しながら、後輩は俺の手を引き、どんどん路地の方へと入っていく。
 10分ほど歩いて、あれ? って思った。後輩が欲しいものが売ってるような店が一軒も見当たらない。それどころか……。急に左手に持った圧力鍋が、子泣き爺のように重たくなっていく気がした。
「あ、あのさ、どこに……」
 何となく予感がして、口を開いた時、後輩が足を止めた。
 目の前の建物を見て、繋がれた手が、ジワッと汗ばんだ。

 御休憩 4800円~

 確かに5000円くらいだった。


はいはいはい、何やってんでしょうね
次で終わり
1000days





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最終更新日  2009年02月17日 18時57分04秒
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