カテゴリ:家族
もんたまさんが論語について書いていたので思い出したこと。 うちの長女がくちごたえ的に使っているあゆの歌の歌詞の続きは、こんな感じだ。 誰かに決められたルールそんなもん必要ない だってこの僕らがルール そこんとこ譲れない で、「論語」ね。 吾 十有五にして学に志す。 で始まる有名な章句があるじゃない? 三十にして立つ、四十にして惑わず、ってやつですよ。 これが実は、なんと七十まであるって知ってた? 斎藤先生の訳はわかりませんが、ざっとこんな意味の自分史が書いてあります。 「私は十五歳の時に学問をおさめようと思った。三十歳でやっと自分の思想が確立した。四十歳で迷いがなくなった。五十歳では天から与えられた使命を悟った。六十歳では、何を聞いても素直に理解できるようになった。七十歳になって、自分の思うとおりに行動しても、道を踏み外すことがなくなった。」 ……どうですかこれ。 あの孔子さまでさえも、七十までは、道を踏み外してたってことですよ!! 爆 つまり、自分=ルールになるには、七十までの精進がいるんですよ浜崎さん! …… というような話を、オヤジの説教のようにして長女相手に縷々説明してみたが…… 長女、目を丸くしていうことには、 「えっ、浜崎あゆみって七十歳なの?」 ですとさ。 そこ? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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