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3月11日の地震発生時。 揺れるデスクの下で、自宅に電話をかけた。 無人の部屋で、呼び出し音が鳴り続けるだけ。 次女はきっともう学童クラブで保護されているだろう。 でも長女はどこ? 今日が何時間授業だったのかもわからない。 放課後、誰と遊ぶ約束をしていたのか(してなかったのか)もわからない。 ……年末から続いた繁忙期のただ中にあって、娘たち(とくに長女)の生活をなんにも把握できていない。 それにこの日はまさに、長らく苦しめられてきた新プロジェクトが1枚の完全データになるはずの日で、納品予定が午後3時だった。 (今から思えば奇跡のようだが、揺れがおさまった直後、近くにある取引先の女性が徒歩でそれを予定通りに届けてくれた。道中無事で何よりでした。) 私はいったい何をやっているのか? ……4時を過ぎた頃、やっと隣家の奥さんに電話が通じた。 地震の瞬間は6時間目の授業中で、小学校では3年生以上は全員すみやかに校庭に避難して、保護者の引き取りを待っていると聞く。ひとりじゃなくてよかった……! 引き取りのない場合、登校班で集団下校になるかもとのこと。幸い外から見ると我が家が壊れているようなこともないらしいが、家にひとりで待たせてはおけない。 まだ外は危ない、と言われながらも、上司に願い出て一番に帰り支度。 交通機関はすべて止まっていると聞いたが、回復を待つ余裕もなく、走るつもりで会社を飛び出す。エントランスでぎりぎりの仕事を頼んでいる営業S氏にばったり会ったが、お詫びして帰らせていただく。 この時点ではテレビもネットも見ていなかったし、土曜出勤で滞った仕事を片付ければ良いと思っていた。 以前買った「震災時帰宅支援マップ」は自宅に置きっぱなしだったが、こういうときの人間の本能はすごい。 ほとんど迷わずに最短コースを辿り、しかも走り続けて40分足らずで明るいうちに帰宅。 普段から鍛えていてほんとによかった。 ちなみに夫も同じ思いで会社を飛び出しており、こちらはハーフマラソン並みの距離を革靴でランニング帰宅。 夫婦ともに即断の結果、帰宅困難者の群れに巻き込まれることもなく、午後9時には家族全員そろって自宅にいられたのはまことに幸いだった。 防災頭巾を被ったまま固い表情だった子どもたちが、夫が帰った途端に不思議なくらい普段どおりに戻ったのもおかしかった。 報道をみる。 あれほど強い揺れを感じたのに、震源地はここじゃなかった。 テレビから流れ続ける被災地の空撮映像から、目が離せない。 何もできない。 見れば見るほど、現実感が遠のいていく。 私はいったい何をやっているのか? 月曜日。 子どもたちを登校班で送り出し、自転車で出勤。 交通機関の混乱のせいで、フロアにはまだ誰もいなかった。 そのうち役員のひとりが降りてきて「連絡網を回している最中だけど、今日は社休日扱いにするから」とのこと。 夫の会社も停電や交通機関の混乱のため自宅待機となっていたが、私は金曜日に放棄した仕事(納期が遅れに遅れていて、これ以上延ばすのはどうしても無理だった)を仕上げるべく、震災以前のままにトップギアモード。 私の部署のメンバーでは大半がそんな状況だったので、結果的に何事もなかったように仕事を続けざるを得ない。社内でも異様な集団と可している気がする。 原発事故。 事態を重く見て自宅勤務等を命じた会社もあった中、私の勤務先では 「帰宅困難な状況を考慮して、近隣のホテルを押さえておく」 という謎の震災対応。 部屋は教科書担当者が優先的に使いなさいとの通達だったので、つい「政府に屋内待避を命じられてもまだ仕事をしている我々の部署」……という余計な想像をしてしまう。 「こんなときに何をやってるんですか」 同僚の言葉が胸に突き刺さる。 私だって、あれからずっと考えていた。 私はいったい何をやっているのか? って。 ……未来の高校生のためにちいさな本を作っている。 家族を危険にさらして? 自分の骨身を削って? 「この会社はおかしいですよ」 何が一番大切なのかは、きっとひとりひとりちがう。 私には何も言ってやれない。 なぜ自分がいまも、目の前の仕事を続けていられるのかもよくわからない。 続く。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 23, 2011 12:46:31 PM
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