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……この頃は、ともかく次にくる大きな余震に怯えていたように思う。 計画停電で交通機関が混乱しているので自転車通勤は続けていたが、帰り道はいつも何かに追われるように急いだ。 ライトアップされなくなった真っ暗な橋を渡るときはことに怖ろしかった。 これは震災より前だったと思うのだが、日本橋から先に川が広がっている光景を夢に見たのだ。 断片的な映像で、ストーリーはなかったはずだが、私は川のこちら側(会社のある方)にいて、水没した我が家の方向を確かめているような。 そしてあるとき、近道を模索しつつ隅田川の堤防に出たら、この夢でみたのに近い風景が目の前に広がって、思わず身体が震えてしまった。 あとで同期のびびくん(仮名)にこの話をしたら、彼も原発をさがして自転車を漕いでいる夢? を見たという。 ……出口の見えない過酷な仕事を傍目には淡々と続けながら、誰もが亡国の思いにとらわれていたのかもしれない。 疎開。 子どもたちの春休みを目前にして、そのことを思いついた。 私の実家は四国で、長女が2年生のときから、毎年夏休みに子どもたちだけでお世話になっている。せめて春休みの間、子どもたちだけでも、余震のない安全なところで暮らせたら。 ……実家の母に相談してみると、ふたつ返事で「いいよ」と言ってくれた。 春からやっと年長さんになる甥っ子わか(仮名)も一緒に帰っておいで、とのことだった。 そういえばわかの保育園は、園庭が液状化の被害を受けているときいていた。 被災したわけでもないのに、自分の子のことばかり考えていた自分を恥じつつ、姉に連絡をして日程を調整する。 この頃には、余震よりも原発事故への恐怖が高まっていった。 新宿あたりの放射線量なども報道されはじめたし、事故対策にもほとんど進展らしい進展がなかったから、絶望的な状況にみえたと思う。 夫も姉夫婦も、どちらかというと冷静な対応だったが、私は危険が発表されてからでは遅いと思った。 首都圏から離れる人のラッシュで交通手段が確保できなくなるような気がした(実際には東京に戻る便の方が混んでいた)。 それで結局、春休みを待たずに、連休に私が引率して帰ることにした。 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 24, 2011 08:01:13 AM
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