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6月7日の朝にいきます

6月7日の朝にいきます

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2024年06月21日
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​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​6月は父の日があり、私の父の命日もある。

幼稚園児の時や小学校低学年くらいまでは、休みの日によく遊びに連れて行ってもらった。
遊園地だったり動物園だったり、父の趣味である園芸店へも一緒に行った記憶がある。

大正生まれだから、昔ながらの大黒柱といった感じの父。
決して甘やかしてはくれなかったが、それでも十分に愛情を感じられて育った。

父は、やがて仕事が忙しくなると、帰宅しても書斎で勉強をすることが多くなり、
私が中学に上がってしばらくして単身赴任となったが、休みの日には必ず帰宅してくれた。
誰もが知る会社のエンジニア、としか仕事に関しては知らない。

そんな父の、忘れられない姿がある。
当時、勝手口近くの裏庭の隅に、石でできた焼却炉があった。
まだ家で枯葉や紙などを燃やすことが許された時代で、父は時々その焼却炉で何かを燃やしていた。
炎だろうか、煙だろうか。 父はじっと動かずにそれを見つめている。
何十分も、燃え尽きるまで。

父は赤紙を受け取る前に終戦を迎えたのだと言う。
でも、高校や大学時代の同級生の多くは戦争へ行った。 そして帰らぬ人となった。

「お父さんはね、もう親しい友人は作らないんだ」そう私に語ったことがある。 
仕事仲間や趣味仲間はいるけれど、親友と呼べる人は持たなかった。
「大事な友達がみんな戦争で亡くなったんだよ」と、苦しそうに言った。

多くを語らないタイプなので、その話を聞いたのは一度切り。
それでも私には、その悲しみが伝わった。
背中が淋しそうだった。とっても辛そうだった。

いえ、戦争を知らない私には、ほんとうには理解できないだろう。
同じ学び舎で日々を過ごした友達が、ひとり、ふたりと戦地へと旅立ち、二度と会えずに訃報だけが届く。
想像に余りある。 まだ20歳前の学生が経験するには辛すぎる現実。


父の日に、そして父の命日となった日に、父を深く想う。
娘たちを愛してくれた。 たいせつに、たいせつに想ってくれた。
私は何を返せただろう。
少しでも、私の父であることを嬉しく思ってくれただろうか?
お父さん。 大好きでした。 そして、今も。





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最終更新日  2024年06月21日 12時40分53秒



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