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6月7日の朝にいきます

6月7日の朝にいきます

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2024年07月27日
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​​​​不思議なエリアだった。
東急東横線の代官山駅を降りてすぐに広がる、2階建て&3階建て計33棟にも及ぶアパート群。
関東大震災後、日本で初めて建てられた火災に強い鉄筋コンクリート建て「同潤会アパート」のひとつ。
代官山のそれは1926年(昭和元年)に建てられたそうだが、なんとも言えない魅力的な建築物だった。

特にモノクロームで撮影すると、たまらなく絵になる。なのでカメラマンも挙って撮影をしたがった。
当時はサザン等が所属しているアミューズが傍にあって、私も彼らミュージシャンの取材を幾度もしたっけ。

アミューズ所属ではないが、大塚博堂さんを元夫が撮ったのは、私が20代前半の頃だったようだ。
というのも、博堂さんは、私が27歳の時に37歳で急逝されたから・・。
あの撮影時は「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」をリリースした直後だっただろうか。

代官山の(表参道沿いにもあった)同潤会アパートには、風呂なしの部屋も多かったのか
アパート群の真ん中あたりに銭湯があった。
そして記憶が正しければ、そのすぐ傍に食堂もあった。

カメラの前で、静かに佇む博堂さん。
「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」の歌詞やメロディ、
そして何より、博堂さんの醸し出す雰囲気が、同潤会アパートに見事に溶け込んだ。

私が取材で幾度か通った頃は、もう築50年を有に超えていたし、
都内にはきれいでおしゃれなマンションが幾つも建ち始めていたが、
代官山同潤会アパートに住みたがるアーチストは、あとを絶たなかった。

日本の大手航空会社のポスター広告を手掛けた有名スタイリスト(女性)の住居もここで、
その生活ぶりを女性誌のグラビアと記事で取材させてもらったことがある。
内装はいわゆるコンクリート打ちっぱなしのような状態で、
そこに各国で集めたらしいアンティーク家具や小物がセンス良く配置されていたことを思い出す。

代官山同潤会アパートは、老朽化のために1996年から解体が始まって、
やがておしゃれなビルや高層マンションが跡地に建った。

今の代官山には、あの蔦が絡まる、鬱蒼とした代官山同潤会アパートの面影はどこにもない。
この昭和ブームの中、あれほど絵になる場所もないと思われるけれど、もう戻っては来ない。

ただ、代官山の特別なエリア感は、今も健在だと感じる。
時々、渋谷から各駅停車で一駅の、この街に降り立ち、西郷山公園まで歩いたり、
お気に入りの店を冷やかして、当時を懐かしんでいる。







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最終更新日  2024年07月27日 12時00分10秒
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