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カテゴリ:poem
書くという衝動、書き留めておきたいという衝動、 それはいつも突然にやって来る。 何気ない日々の生活の中で、ふと、心が震える体験をする。 起こったことの反映としての心の震え。 起こったことはさして大した事でなかったとしても、心が強く動かされるのだ。 それは、心の深いところでの感動。 心揺さぶられる感動。 それは、詩を書かせる感動といっても良いだろう。 かつて、そのような体験があった。 そして、今もまた同じような体験をする。 いつもの事ながら、心にこう思う。 「ああ、また同じところに帰ってきた」 外的現象は姿を変えても、心的体験としては同じような感慨なのである。 「ああ、今日も僕は生きている」 つまりは、「ふと思ったとき」なのである。 久しぶりに同じ地点に回帰したようなので、以下に30年前の詩を掲げよう。 ---------------------------------------------------------------------------- 『ボールペンテル ――― 1977.12.25 』 ボールペンテル、 これは、まさに、わが自由の象徴だった. ある日突然に、不意の光明がやって来た. その時偶然に私は、ボールペンテルを切らしていた. 書くための道具としての最も自然な愛用品. 今までのそれは、ちょうどインクが切れかかっていた. その突然の衝撃がやってきた時、 私は、この五体全体でうろたえた. その高揚の中に身をゆだねてしまった. 私の中で、生命は異常な速さでうずを巻いていた. 抑えかねる. もう、どうしようもない. 私は、どうすれば良いのか? しかし、その問いの答えは、おのずと全く明らかであった. ボールペンテルを買いに行くという行為だけが、 ただひとつ、最も、自然、・・・・いや、それしかなかった. 書くという事、それが生きるという事であった. ボールペンテルは、その象徴であった. 生きるという事、 それは、自由という事であった. 自由という事において、 表現--エネルギーの放流--行為、 それが、カギであった. それしか すべを知らなかった. 表現、 自分と世界を結ぶもの. それに 身も心も集中させるという事. そこに、あらゆる自由の可能性が秘められているように思われた. 私のボールペンテル、そして、知覚、感覚へと---. Copyright(C) 1977 HOKUSUI-SHA All Rights Reserved. ---------------------------------------------------------------------------- ~五月の空に浮かぶ月(at Tokyo Mid Town)~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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