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カテゴリ:日々の旅
一昨日の日曜日、午後から妻が地区会館の絵画サークルへ出かけて行ったので、だいちとわたしの2人が家に残された。 トドニは、自分の好きな場所を見つけては、もっぱら寝てばかりなので、その存在が気になることはない。 という訳で、父子水入らずのイースターの午後となった。 何気なく撮り溜めたビデオを観ることになった。 ちょっと前にTVでやっていた「逃走中!」という番組。 テレビ鬼ごっこである。 実際の都会の街の早朝、テレビタレントたちチャレンジャーが、ハンターと呼ばれる屈強な男たちから逃げ回る。 1秒100円の換算で賞金が刻々と増えて行き、約2時間逃げ果せると、約70万円がもらえる。 しかし、無事ハンターに捕まらず逃げおおせた場合に限る。 チャレンジャーには、時に応じて様々なミッションが与えられる。 カメラは逃げ回るチャレンジャーたちの挑戦や狼狽、ハンターたちの無表情を捉える。 かつて狩猟民だった頃の我々のDNAに埋め込まれているのか、追うもの/追われるものの必死な姿がエキサイティングなスリルを呼び起こす。 何ということもない番組だが、娯楽番組としてはなかなかに出来たものだった。 だいちとわたしは、それぞれ好きなことをしながら何気なくテレビを眺めていた。 ◇ ◇ ◇ そんな中、録画DVDの整理をしようと筆ペンを使っていたら、だいちが「貸して」と手に取るやいなや落書きを始めた。 「そうか」と気付き、だいちの小学校のお習字の道具を出して来た。 テーブルに新聞紙を敷き、硯に墨汁を入れてセットして真ん中に画用紙を置いた。 「筆ペンより本物の墨と筆のほうが良いよ」とだいちに呼び掛ける。 すると、だいちは前夜からテーブルの上にあった籠の中のゆで卵を手に持ち、それを硯の池に入れて墨汁をまぶし始めた。 墨汁に覆われて黒光りしている卵は異様な輝きを放っていた。 黒卵という異様。 「僕はこれで描くよ」と言いながら、画用紙の上を転がし始めた。 自由に絵を描くことはできない。 しかし、卵型である故に、卵の動きが面白い。 あっちへ行ったりこっちへ来たり、急に向きを変えたり。 そして、その足跡が画用紙に線を残して行き、それが絵になっていく。 恣意と偶然によって出来た、ちょっとした抽象画だ。 ~ 卵の軌跡の抽象画 ~ しばらくその黒卵の滑稽な動きに見とれた後、わたしはふと思いつきゲームを提案した。 画用紙をサッカー場、両側に置いた文鎮をゴール、卵をサッカーボールに見立てて、テーブルサッカーをしようという物である。 わたしはテーブルの向いに席を移し、さぁキックオフだ。 最初のルールは、手を使わず息を吹きかけて卵を動かすというもの。 卵が手前に来るのを待ってから、一気に「ふぅー」と息を吹きかけるのがコツ。 肺活力の大きいわたしの方が断然有利で、すぐに勝敗はついた。 勝敗のことはそっちのけで、「あったま、いてーっ」とだいちが突然叫ぶ。 そう言えばわたしも、・・・2人とも息を吐きすぎて頭が酸欠になってしまったようだ。 それで、次は両人差し指だけ使っても良いルールに変更した。 これだと、それ程ハンディはない。 ひとしきり2人で夢中になった。 画用紙が適度に黒くなった所で紙を換え、何度か繰り返す。 結局、計8枚の画用紙を使った所でほぼ終了した。 2人とも、黒卵遊びには、もう飽きてしまったのだった。 ~ テーブルサッカー ~ ~ 戦いの跡 ~ しばらく休憩して、わたしは引出しから書初め用の細長い半紙を見つけ出して来た。 そして、お習字を始めた。 何を書こうかなと思ったが、イースターなので「復活祭」に決める。 そして練習を始めた。 半紙は計3枚しかなかったので、3枚目でもう清書だ。 だいちが近づいて来て「お父さん、<祭>の字が違うよ」と正しい字を教えてくれた。 久しぶりに筆を持ったりすると、勝手が違って覚えている筈の字を、うっかり間違ったりする事は良くあること。 清書を書き上げたところで、こんどはだいちが書く体勢に入ったようだった。 わたしはまた引出しから「懐紙」という便箋大の紙束を出して来て下敷きの上においてやった。 1枚に1文字書くのに丁度良い大きさだ。 「何を書こうか?」と言うので「まずは自分の名前から書けば」と言うと、素直に書き始める。 自分の名前の2文字を練習した後、気がつくと、だいちは「羊」や「竜」を書いていた。 「お父さん、<竜>の難しい字を教えて」と言うので「龍」を教えた。 だいちは何枚か練習していた。 そこで、「丑」や「寅」を教えたが、これにはあまり興味を示さなかった。 しばらくすると、「この字、カッコいいから教えて」とマンガ本を持って来た。 それは「覇」と言う漢字だった。 「覇龍」というゲームのキャラクターの名前だった。 だいちにとって<龍>は一つの憧れなのだろうが、<覇龍>とは(龍の中の王だろうから)すごいなと思った。 「ふんふん、<覇>はかっこいいよな」。 放っておくと、そのうち、だいちは「封」と言う字を4枚書いて、書き終えたようだ。 面白いことに<封>の字の四隅に点を打っている。 きっと、封印とでも言いたいのだろう。 「これで終わり」と言う声が聞こえてきそうである。 ~ 2009年春のお習字 ~ 一息ついて、2人とも休憩した。 たくさん遊んだのでようやく自分に戻れた気がした。 テーブルの上を見ると、まだ手をつけていないゆで卵が2つ残っていた。 我に返り、わたしはようやく目の前のイースター卵に向き合うことにした。 筆を執り、墨を塗り始めた。 例年であれば、だいたい色を付けて卵を飾るのだが、今日は黒1色でも良いと思った。 筆の動くままに試しにやってみたのが1作目だ。 幾分荒い、うろこ模様の卵が出来た。 これは、ものの3分と掛からなかった。 ちょっと面白みに欠けるので、最後の卵はもっと繊細に小さなかけらを描いていこうと決めた。 一部分を描いて思ったが、これは結構しんどい。 細かい神経も使うし、相当の集中が必要だとわかった。 わたしはメガネをはずして卵と筆に集中した。 休み休み、トータルで2時間ほど掛かっただろうか。 やっと出来上がったのが、豹柄卵=完成形となった。 自分なりに、満足感があった。 今年のマイ・イースター卵だ。 ~ うろこ卵と豹柄卵 ~ ~ 2009イースター卵 ~ だいちは素早い。 わたしが豹柄卵に熱中している間に、さっきのサッカーボール卵で何やらやっている。 墨で描いた卵は水で流すとすぐに元に戻る。 だいちは卵を洗っては塗り、洗っては塗りしていた。 よくよく気をつけないと、やはり真っ黒に塗ってしまうらしい。 だいちは何度も失敗して、そして、「出来た」と言って持って来た。 水道で薄洗いして、グレーに色付いた卵を完成形にしたようだ。 なかなかこれも傑作だ。 ~ 薄墨卵 by だいち ~ 妻が帰って来て、だいちと2人で豹柄卵=完成形を見る。 妻が「なーに、気持ち悪い!」と。 だいちはしかし「でも、スゴイ!」と。 だいちは、わたしの豹柄卵=完成形を見てちょっと触発されたらしい。 そして「もう少しやる」と言い出すが、もうゆで卵はなかった。 すると、冷蔵庫から生卵を出して来て塗り始めた。 今度は、白く残すことを忘れなかったようだ。 冷蔵庫にあった3個すべてに模様を描いて満足したらしい。 そんな風にして、イースターの午後が過ぎていった。 ~ 白黒模様の卵 by だいち ~ ~妻が造形教室で作ったイースター卵~ 子どもと一緒の何気ない日常。 あてどもない時が過ぎて行った。 しかし、そのあてどもなく過ぎ去っていく時間に身を置くことが心に滋養を与え、エネルギーの注入になる。 そんなホリディーだった。 そして、その午後のひと時に出来上がった足跡たちが作品となる。 作品は作者の人となりをそのまま映す。 顔写真や風景は挙げられないが、代わりに作品でブログを飾る。 そう、これらは、2009年の我が家のイースターのスケッチである。 ~ 2009イースター卵の勢ぞろい ~ ---------------------------------------------------------------------------- ウキペディアで調べてみたら、4月12日(日)をイースターとするのは、グレオリオ暦を用いる西方教会流だと言う。 ユリウス暦を用いる東方教会では、4月19日(日)をイースターとするらしい。 今ではキリスト教のイエスの復活の故事に結び付けられている祝祭日なのであるが、きっとそれ以前からあった季節の節目の祭りだったと思われる。 いずれにせよ、春のこの時期に、季節の節目を祝うお祭りであろうことに間違いはない。 多産の象徴である卵やウサギがシンボルとして使われる。 我が家は、特にキリスト教にこだわりはしないし西欧主義でもないが、縁あって毎年我が家流に楽しませてもらっている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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