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カテゴリ:想定外の出来事
彼女の絵屏風に魅せられて、ティータイムを取った後 ロビーに陳列してある写真に目が釘付け まさかかの彼らの写真
司馬遼太郎の「竜馬が行く」は、30年前に夢中になって読んだ
この本に出てくる人々が一同に会している 馴染みの名前が沢山 こんな写真が現存するなんて
志士達、気迫のある面差し
写真説明文 フルベッキ博士と幕末維新の志士達 博士は、安政年に来日し、幕府の英語伝習所や佐賀藩の学問所などで、語学や国際政治学等を教授。維新後、明治政府の要請を受けて、諸外国の憲法を翻訳したり、聖書の布教に努め、明治31年(1898年)68歳で死亡。生涯日本に留まり、新生日本の為に尽力した、功労者である 鎖国状態の江戸時代の現状を憂い、世界の情報と、最新文化に触れられる唯一の場所である長崎を訪れた志士たちは、高名な博士に意見を求めるのが常であった そんな状況下で実現したのが、この写真である。 慶応元年、上野彦馬によって撮影されたと、伝えられている。長く秘蔵されていた為、専門的研究はなされていないが、伝来の経緯から、本物である可能性が高いと言われている。 この写真は、博士が宗教記録として所持し、手放さなかったものだが、明治20年代の宗教家でもある戸川残花の強い要請で借り受けた物である。 2004年 日本経済新聞記事による
インターネットからの写真を 勝海舟
桂小五郎(木戸孝允)
中岡慎太郎
高杉晋作
大久保利通
伊 藤 博 文
坂本龍馬 これも龍馬
この時代の写真は、貴重な遺産である
●をつけた代表的な10人の志士達の事を少しだけ調べてみた 生年 享年 死亡理由 高杉 晋作(1839) 28歳 「病死」(肺結核) 言葉「おもしろき こともなき世に おもしろく」 中岡慎太郎(1838) 29歳 「暗殺」近江屋(京都) 坂本 龍馬(1835) 32歳 「暗殺」近江屋(京都) 西郷 隆盛(1828) 49歳 「打首」城山決戦 隆盛の言葉「児孫に美田を買わず」 大久保利通(1830) 47歳 「暗殺」紀尾井坂の変・・金銭に潔白、8000円の借金 桂 小五郎(1833) 44歳 「病死」 辞世の言葉「西郷もいいかげんにしないか」 江藤 新平(1834) 40歳 「処刑」佐賀の乱(?首)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 伊藤 博文(1841) 68歳 「狙撃死」ハルピン駅にて 渾名「箒」(掃いて捨てる程女がいた) 勝 海舟 (1823) 76歳 「病死」(脳溢血) 辞世の言葉「コレデオシマイ」 大隈 重信(1838) 84歳 「病死」
この時代の平均年齢は人生50年と言われていた 7人は、50歳を迎えることなく早世している 5人は暗殺・自刃・処刑と 時代の波に飲み込まれた
今、龍馬達が注目されているのは、個人の利益を優先せず、 目的意識を持った人生 それも単独でなく、同士を纏める力があった 結果は、歴史の中にある
彼らが残した歴史により、今があり、歴史を繋いで未来がある
時代を担う代表者(政治家等)達は、 未来永劫に記録が残る事を意識して欲しいものだ 目先の欲(自我・物・名声・利権)に翻弄されることなく、 人として恥じることの無い生き方を望みたい(無理)
なんて勝手な事を言えるのは、庶民の特権である
旅はミステリーであるこんな出会いがあるとは夢以上である これだから旅が止められない
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最終更新日
2010年07月24日 22時38分08秒
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