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テーマ:エッセイ(94)
カテゴリ:過去のエッセイ
「人形ではないんだから」(47歳)
テレビの中で中学生が語っている。 「誰にも本音は出せない。僕はいい人間でいたいから。親に? 話せませんよ」。 「キレそうになることはよくある」。 続発する中学生の事件をテーマに、中学生にインタビューした時の一場面だ。それを見ながら、(私もそうだった)と、昔の自分を思い出していた。 あの頃は、「出来のいい人形」として生きるのが良いのだと考えていた。良い人間とは多数の人が期待する人のことであり、他人の期待に応えることが良い生き方なのだろうと。 親にとっての娘、妹にとっての姉、先生にとっての生徒、友人にとっての友達。自分の描くそれぞれの役柄の理想像に、少しでも自分を近づけたいと願った。だから、心の中の不満や怒りは抑えるべきものだった。 醜い本音を少しでも見せてしまったら、みんなが失望して嫌われるような気がしていた。良い人間になるためにそれらしく役割を演じていたら、いつか本当にそうなるのではないか。そんな私は、多分「いい子」だったはずだ。 しかし、青春はそんなに甘くはない。人の期待に応える人形になりきれるはずはなく、「キレル」時も必ずある。私もある日、母に対してキレた。 その頃の私は栄養士になるはずで、バタフライナイフではないが自分専用の「牛刀」を持っていた。しかし、幸か不幸かそれを料理以外に使うことが発想できず、ブルブル震える唇を刃に変えて、積もり積もった思いを母にぶつけていた。 「私はお母さんの思い通りには生きたくない!」。 それから何度もキレながら、そのたびに「母の期待する娘」や、「夫の理想とする良妻」「子どもにとっての賢母」からの脱出を図ってきた私は、キレることが悪いとは思えないし、本音も醜いものばかりとは思えない。 「もっと本音を大事にしようよ。時にはキレてもいいんだよ。人形じゃないんだから」。 テレビの中の少年達に向かって、私は思わずつぶやいていた。 これを書いた頃、「バタフライナイフ」を使った少年の殺傷事件があったのだろう。 最近でもそのような事件はあるのかもしれない。 しかし、近年は少年犯罪は減っているようで、少年院の収容者数も減少していてガラガラだということも保護司の人から聞いた。 それは良い傾向なのだろうとは思うが、少子化の影響もあるだろうし、 青少年の自殺が多いということは、不満や怒りが他人へではなく自分に向いているのかもしれない。 あるいは、あまりにも周囲に合わせて生きているために、自分自身の本音がどこにあるか見失っているのかも。 さて、本当のところはどうなんだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年03月10日 13時26分55秒
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