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テーマ:家族旅行(839)
カテゴリ:旅行、おでかけ
【5月9日】この日は、孫の住むアパートから「道の駅いいで」に立ち寄る。
この道の駅には山菜や土産物などがとても豊富で、孫の勤める「田中屋の肉製品」も販売しているので、色々なお土産と牛のみそ漬けなどを購入し、自宅に発送してもらう。 何せ、電車乗り継ぎの旅なので荷物を増やしたくない。 そうしているうちに、田中屋のお店や「肉のガチャガチャ」などの地元テレビ局の取材に、お笑い芸人さん(名前を失念)が来ていて、私が発送手続きしている間に孫も店先に専務と並んでいた(@_@) 慌てて写真を撮ろうとしたけれど、準備ができたときはガチャガチャの場所に移動しはじめていた。 取材が終わるのを待ち、一言専務さんにご挨拶をしてから白川湖の水没林へ。 その途中で展望台に立ち寄り、散居集落の全貌を眺める。 道路を走っているだけては、あの景観はよくわからない。 白川湖の水没林は、新緑の緑が美しく、足元に咲く草花も可愛らしかった。 また、ちょうど藤の花が咲く季節のようで、山々には紫色のヤマフジが森林のあちこちを紫色で染めていた。 その後、孫の働いている田中畜産の畜舎へ。 何棟も並ぶ畜舎で、1300頭もの黒毛和牛を飼育しているという。 それを五人で世話をしていると聞いて、本当にビックリ。 仕事の内容をざっと聞いているだけで重労働で大変だろうと思うが、孫は「仕事は楽しいよ」と言う。 世話の仕方で牛が変化するしやりがいがあるのだという。 手間暇かけて育てた牛を出荷する時はどんな気持ちになるのかと聞くと、 「美味しいお肉になれよ!」と送り出すという。 うーん、と、複雑な気持ちにはなったけれど、 考えてみれば私達は何かの命をいただかなくては生きられない存在で、 その自然の摂理の中に農業・畜産・漁業があるのだから、 その仕事に携わる者は精一杯動植物のお世話をして、 感謝しながら命をいただくんだなと改めて思った。 彼は、一日二万歩以上をこの畜舎の中で歩き回るという。 身体が丈夫で自然や生き物が好きな彼にとっては、適職なのかもしれない。 その後、また「道の駅いいで」に戻り、少し遅めの昼食。 山形はラーメンがおいしいと聞いていたので、できれば冷やしラーメンを食べてみたいと思っていたのだけど、この日は肌寒くてやはり普通のラーメンを食べてしまった。 その後、米沢に向かい上杉神社を参拝し、隣接する上杉博物館を見学。 上杉鷹山のことは大まかには知ってはいたが、改めて展示を見ていて、まさに民主主義の考え方で藩運営をしていたのだと感動すら覚えた。 この日は、特別展「上杉茂憲 最後の藩主と米沢士族」をしていたので、こちらも興味深く見学した。 廃藩置県で東京に移住し英国留学を経て、沖縄県令になったとはビックリ。 明治維新前後の劇的変化の中で生きるのは、お殿様も下々の者も本当に大変なことだっただろうと思いを馳せた。 そのあとは、孫が一度泊まってみたかったという白布(はくぶ)温泉中谷別館不動閣へ。 外観も施設内もかなりの歴史を感じる建物で、孫たちにとってはとても新鮮のようだが、私たち世代には懐かしさを感じるものだった。 建て増ししたのだろうが三つの建物がつながっていて、私達のお部屋は渓谷館の広い部屋。 窓の下は渓谷で、木々の緑とせせらぎの音と鳥のさえずりが聞こえる。 お風呂は大浴場オリンピック風呂と露天風呂。 プールのように長いお風呂で、ちょうど1964年東京オリンピックの時に作られたのでそう名付けたとか。 しかし、プールを模したというよりは、窓を広く長く作って入浴しながら外の景観を眺めてもらうためだったそうだ。 夕食は山形よねざわ郷土の味が盛りだくさん。 食材やお料理について配膳をしながら丁寧に説明をしてくださったのだが、上杉鷹山のエピソードも沢山。 お殿様の鷹山が今でも山形の人達に慕われ尊敬されているのだなと感動すら覚えた。 もちろん、どれも美味しかったですよ。ごちそうさまでした。 やっと、二日目を書いたが、今日はこれまでにいたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年05月18日 14時57分28秒
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