中学時代の同期生の話
先日、今年の夏に開催予定の中学の同期会の幹事会があった。私が卒業した時は5クラスあったので、各クラスから二人ずつ(男女)の幹事が集まり、夏の開催に向けて話し合った。その後、幹事会の二次会があって、その時に別のクラスのKさんと色々話をすることができた。彼女とは中一の時に同じクラスになったけれど、その後は別のクラスになり、以後親しく話をする機会はなかった。私は、このブログでも時々書いているけれど、中学時代は教室の中で疎外感を覚えることが多く、決して楽しい中学生活ではなかった。仲良しの友達とワイワイするということがほとんどなかった私から見たら、Kさんはいつも明るく、バスケットクラブのリーダー的な存在で、運動音痴の私から見たら、本当に羨ましい存在に見えていた。しかし、今回彼女の話を聞いて、本当に驚いた。彼女の家は農家であった。当時の農家の中学生は立派な働き手であることが多く、農繁期には学校を休んで水田や畑の仕事をする同級生も珍しくはなかった。我が家は「兼業農家」だったので、田植えや稲刈りの時期には手伝いくらいはしたけれど、農作業のために学校を休ませられることはなかった。しかし、Kさんの家はお父さんが厳しくて、「女は家事をしろ。高校など行かんでもいい。農繁期には学校を休んで仕事をしろ」というタイプだったようだ。だから、中学生になってバスケットクラブに入りたいと頼んだ時も、当然反対されたのだそうだ。それでも彼女は、どうしてもバスケットがしたくて、父親に手をついて必死に頼んだのだという。「家の仕事は、学校に行く前や下校してからやります。農繁期にはちゃんと手伝うから、バスケットをさせてください」と。彼女のお母さんも、そんな娘の姿に一緒にお父さんに頼んでくれたので、やっとクラブ活動を許されたそうだ。そして彼女は、朝四時半には起きて、朝ご飯を作り、家の掃除を全部やり、自分と弟のお弁当を作って登校する毎日だったという。もちろん、下校してからは農作業や夕ご飯つくりが待っている。「だから、私は学校に行くことが本当に楽しかった。 バスケットができることが嬉しくてたまらなかった。 勉強は得意じゃなかったけれど、とにかくみんなと一緒に居られることが楽しかったの」彼女がいつも楽しそうで、元気一杯だった理由はそこにあったのだった。