世界遺産になりそこね ― 依佐美送信所 ―
愛知県刈谷市の依佐美送信所に行きました。この送信所は、1929年に運用開始。太平洋戦争開戦の暗号「ニイタカヤマノボレ一二〇八」を発信したことでも知られています。戦後は米軍の管理地となり、潜水艦の通信用に使われました。平成になっても、鉄塔がある管理地には、米軍管理地の表示がありました。まだ若かった私は、「ここに入ると射殺されるかな」と冗談めかして話していました。1994年に日本に返還。それまでは巨大な鉄塔が、8本も建っていました。残念ながらその後に撤去され、鉄塔は1本のみ、しかも根本だけが切断されて残されました。写真はその鉄塔の根本。こちらは鉄塔の頂上のみ。この鉄塔は、日本と欧州の通信手段としても運用されました。実は欧州側で送受信した「グリメトン無線局(スウェーデン)」は2004年に世界遺産に認定されています。グリメトン無線局は、1924年製。高さ127mの自立型鉄塔6基。1996年停止。依佐美送信所は、1929年製。高さ250mのワイヤー支持鉄塔8基。1994年停止。依佐美送信所は1995年11月から解体が始まりました。グリメトン無線局に規模でも勝る依佐美送信所は、十分に世界遺産になり得ました。「あと10年保存されていれば、世界遺産。」そう言って悔しがる人も少なくありません。刈谷市は、トヨタ自動車の主要関連企業の大半が集まるトヨタ城下町。トヨタ系企業の財力なら、容易に送信所を保存できたことでしょう。地域の文化財への無関心が、依佐美送信所の世界遺産認定のチャンスを奪いました。【楽天商品: 改札口で光る! 電池不要】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村