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カテゴリ:コンクリート像
にほんブログ村 光徳稲荷社の謎のお狐様の考察です。 作者は後藤鍬五郎の可能性もあります。 そこで関連する年譜を検討します。 光徳稲荷社は、かつてこの地にあったマキノ中部撮影所の中にありました。 この道徳の地にあった銭湯は、女優松原智恵子さんの実家でもあります。 【年譜】 1927年 マキノ中部撮影所が開所 「実録忠臣蔵」撮影開始 聚楽園の大仏開眼 (後藤鍬五郎 作) , ※光徳稲荷社は、マキノ中部撮影所で祀られていた 1928年 マキノ中部撮影所 閉鎖 刈宿(常福寺)の大仏完成 1929年 道徳公園のクジラ製作 (後藤鍬五郎 作) 道徳観音像 製作 (後藤鍬五郎 作) 1943年 山神社現在地に移転 ※この際には、光徳稲荷社はマキノ中部撮影所跡地に残されていた ●1975年 光徳稲荷社のお狐様の台座の年号 1976年 後藤鍬五郎 逝去(85歳) 1978年 浅野祥雲 没 ここで次の3点がポイントになります。 光徳稲荷社は1927年にはあったこと。 しかしお狐様の台座の年号は、1975年であること。 光徳稲荷社が移設されていること。 私の推察では、お狐様は1927年頃に作られ、 台座は後か移設時に作り替えられたのではないかと思います。 つまりお狐様の作者は、 道徳にゆかりが深い後藤鍬五郎氏ではないかと。 [宝珠] 台座の作り替えはしばしばありますが、皆さんは如何思われますか? 【 前の記事 】 「光徳稲荷社の謎のお狐様1」 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 【 「鬼滅の刃」画集 】 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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