|
カテゴリ:高見彰七
にほんブログ村 愛知池の観音像の製作年が判明したことで、 新たな疑問が湧いてきました。 それは、高見彰七の創作活動の年表を見るとわかります。 年表では、高見彰七は突然に愛知池の観音像の作家になります。 無名の作家が、突然に最大級の観音像の作家になれるものでしょうか? 実績がなければ、施工元の大手企業が作家を任せるとは思えません。 私はこの高見彰七の空白期、 つまり高見彰七のミッシングリンクを埋めるのが、 妙楽寺の57体の作品群ではないかと推察しています。 妙楽寺の作品群の造形には、 技能や作風に経時的な変化が見られます。 これらの作品群は、以前は道路沿いに並べられていました。 初めは交通事故の被害者の供養のために観音像が建てられ、 それから次々と交通安全を願い作品が並べられたのではないでしょうか? その間に高見彰七の技能も向上し、作風も安定したのでしょう。 そしてこれらの実績から、 大手企業から作家を任せられたのではないでしょうか。 高見彰七の作品の原点は、妙楽寺の作品群の中にある。 私はあらためて、そう思い始めています。 高見彰七の観音像は、交通安全祈願のものが大半です。 そしてその願いの強さは。尋常ではありません。 高見彰七が供養したかった、初めの交通事故の被害者は、 彼にとって、とても大切な人だったのかもしれない。 あえて想像が許されるなら、そう考えることによって、 彼が残した作品の本当の意味が、 真に理解できてくるように思えるのです。 【 有田焼 豆皿 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[高見彰七] カテゴリの最新記事
|