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カテゴリ:高見彰七
にほんブログ村 驚きの新事実が発覚しました。 岡崎市 享禄山 見徳寺の観音像を覚えておられるでしょうか。 リスト第2集No.23に、 確率50%の高見彰七作品として登録した観音像です。 「No.23 見徳寺」 別の観音像の関係から、 「FDG公式さん」の過去の公開情報を閲覧させて頂いていました。 【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」 その中に、見徳寺の観音像によく似た観音像があるのに気づきました。 「豊田市 八王山 春光院」 FDG公式さんも、初めは高見彰七作品と思われたようです。 しかし次の渡刈町の観音像に遭遇され、 作家は「与次」であり、高見彰七作品ではないと考えられたそうです。 「豊田市渡刈町 路傍」 (背面に「与次作」とある) 春光院、渡刈町の観音像の画像はFDG公式さんからお借りしました。 見徳寺、春光院、渡刈町の観音像は、全て「与次」作と思われます。 胸に抱いた蓮の花、前に垂れた2本の紐なども共通しています。 ●「与次」とは誰か? 与次のコンクリート像の造形が、高見彰七作品と良く似ています。 これだけ類似しているのですから、高見彰七と無関係とは思えません。 「与次」は「よつぎ」、つまり「世継ぎ」とも読めます。 そのことから、高見彰七の弟子、または御親族かもしれません。 自身を銘板に「高見彰七老人」と刻むほど 洒落っ気がある高見氏ですから、 後継者を「与次」としても不思議ではないでしょう。 ●「与次」は「雲岳」の様な存在か? あるいは浅野祥雲作品の例が思い出されます。 浅野祥雲作品と酷似したコンクリート像には「雲岳」銘の像があります。 雲岳は浅野祥雲と同一人物とも、別の人物とも言われ、 まだ確定はしていません。 与次と高見彰七が同一人物である可能性も否定できません。 ●なぜ見徳寺の銘板は剥がされたのか? 見徳寺の観音像の銘板は剥がされています。 「与次」と作家銘があったのであれば、剥がす理由は何でしょうか? これもまた不思議です。 「与次」銘の登場で、高見彰七の謎がさらに深まりました。 そしてさらに探究が面白くなってきました。 見徳寺の観音像の判断は悩みましたが、 「高見観音である確率50%」でまさに正解でした。 「与次」銘の作品は、実際「高見彰七作品確率50%」の存在です。 見徳寺や、FDG公式さんの画像データとの出会いや入手順序、 その出会いに運命的なものを感じています。 春光院をNo.24、渡刈町をNo.25に「作家銘:与次」として登録します。 【 栗きんとん 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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