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2024.09.06
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その「言葉」に引っかかる、なあ。
不登校関連の記事を最近見かけることが多くて

「やり直せる(人生は)」みたいなのにうっすらと嫌悪感。


例えば学校に行けなくなってしまった人たちに

「いつでもいつからでも(人生は)やり直せる」というお声がけが気に食わない。

ひっかかるなあ・・・。
なぜ引っかかるのか。


例えば息子は履歴書的には
「高校中退」なわけで。
その後公立通信に入りなおして4年で卒業し
その後2年サービス関係の「専門学校」にいって
そこは無事に2年で出してもらったけど

新卒で入社した会社は学んだはずの「専門」とはまったく違う業種業界を選び
わずか2か月で逃げるように退社して

そのつどそのつど
彼が言うには「人生積んだ」ってなったわけだが。
(「まさにきっと大丈夫だよ、やり直せるよ」という事態。)


それでもその時「(人生は)いつでもやり直せる」という言葉が私の中に浮かんだことはない。




だってその時のチョイスはその時に必要だった(んだろうたぶん)わけなんだろうから
むろん無意識で。


だとするなら「やり直す」とは。



やり直すことなど一つもないよ
人生上その時には必要なことだったんだろうから
そしてそれがたとえば「しまった」「ああ」という出来事だったとしても
その「出来事(経験)」があったから、きっとまた違う景色をながめることができる。



自己肯定というのも何やら最近の私には懐疑的な言葉、なのだが。

自己肯定というよりは「必然」のほうがしっくりくるし
何より「やり直す」という概念こそが
自身を否定してる(それがたとえ過去のことでも)ということではないのか。



還暦過ぎても理屈っぽいあいかわらずのわたくし。





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最終更新日  2024.09.06 16:39:10
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