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カテゴリ:パソコン便り
100ドルのゼンマイ駆動式ノートPCを、貧しい国の学校に通う子ども達の手に届けよう。 というプロジェクトがあるようです。 この話が持ち上がった頃は、机上の空論とも夢とも言われていたようです。 技術的にも生産コスト、利益などあらゆる面から、無理なことが山積していたからです。 しかし、夢は現実のものとして動き出しているらしいのです。
デザインも可愛らしく、省電力でLinuxをOSとして採用したパソコンだそうです。 発電装置として装備されたぜんまいの取っ手が斬新で、これで自家発電も可能なのだとか。 でも、問題がないわけでもないようです。
今日のパンも買えない国の人々に、すぐに役には立たないパソコンを渡しても、 お腹を今、いっぱいにするために、支給されたパソコンを売ってしまう。 ということらしいのです。 まずは知識より、ご飯。 そうですよね。 だけど、お腹いっぱいになるには、知識を身に付けて。。。 これって、卵が先か、鶏が先かの議論に近いのでしょうか。 発展した国が、その他の国にも同じぐらいの技術や生活のレベルを持つ権利がある。 という思いから、私達の生活でもあたりまえになったパソコンを持ってもらおう。 次世代を担う子供達に、多くのことを学んで欲しいと願うのでしょう。 その気持ち自体は否定しません。 己の幸せをみんなと分け合いたい、思いやりなのですから。 でも、機械技術の発展した文明が、本当に幸せなのでしょうか? 南アフリカの原住民が主人公だった、昔の映画。 きっかけは、「コーラのビン」 何の変哲もない文明社会の産物が、 人々の心を荒ませ、今まで築き上げてきた 《和》 を乱す事もあるのです。 もとの平和を取り戻すため、映画の主人公は、 「コーラのビン」を捨てる旅に出るんですよね。 オーストラリアの原住民の映画でも、よその発達した文化人がズカズカ乗り込んできて、 親子を引き離して隔離してしまう、心が引き裂かれる内容でした。 物が溢れているから、幸せなのでしょうか? お金があるから、幸せなのでしょうか? 物もお金も、見知らぬところで見知らぬ人たちが勝手に取引する 危うい場で成立している価値でしかないのに。 けっこう必死でしがみついています。 (東証のシステムが不具合を起こして、こんなに大騒ぎになってしまうのですから) 先進国と呼ばれる場所に立つヒトたちは、その危険に目をつぶり 見えない聞こえない振りをして、かろうじて豊かで満たされている と感じているだけなのかもしれません。 本当は、物やお金の呪縛から解き放たれるのが恐いから、裏切られるのが恐いから、 自然やヒトのもとある姿にすぐ回帰できる人々を 文明社会という闇に引きずり込みたいだけのように、思えたりもします。 そう、私も危うい文明社会の生活の虜です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.12.16 03:11:29
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