この前ネタを振った記事に反応してロネが書いた記事に興味深い事柄が書いてあった。
特筆して書けばこの言葉。
>外国で全く知らない人が死ぬのと
身内が一人死ぬのとでは全く違います
私が昔書いた記事に、『選択』 と言うものがあった。
まぁ、なぜこんな事を書いたかと言うと、色々な願い、想い、があったから。
あの時の米欄には怖い、やココの表現はこうした方が・・・的な事が書いてありましたが、まぁ私的には的外れなコメントです。
どういう願いがあったかと言うと、日頃考えてる事と現実は違う、と言うことと、知ってる人と知らない人では命の重みが違って感じる、言い換えると、命の匿名性、と言った所ですかね。
それを読んだ人には考えて欲しかった。
今回は2つ目の願いの事柄ですね。
>外国で全く知らない人が死ぬのと
身内が一人死ぬのとでは全く違います
この事柄は『選択』の中では
相手が誰かわからない事が不思議と罪悪感を感じさせなかった。
と、書いてありますね。
もう1つ例を上げてみましょう、
目の前に知らない人が居ます。
次の選択をしなさい。
1、目の前の人を殺す。
2、世界の何処かに核爆弾を落とす。
この2つの選択ならば、大多数の人は1を選ぶでしょう。
当然ですよね。
1人と大勢の命なら1人を選ぶはず。
では、1の知らない人が、身内や仲のいい友達だったら?
難しいですよね。
1人の尊い人の尊い命は、何万人分、何億人分の命にも相当しますよね。
もう一度深く考えてみましょう。