カテゴリ:運命
ご訪問ありがとうございます。今日も音楽から、どうぞ・・・・・ 葉加瀬太郎の曲を好きだという☆☆☆いちご☆☆☆さんのために、 -Celine Dion-To Love You More 葉加瀬太郎が、せつなくて、Celine Dionが凛々しくて、(笑い) ふたりの黒い衣装もエレガントで素敵です。 黒いドレスで ~~ララ~ラ~ 踊りましょう ♪ (爆笑)
今日は、1月24日の記事 : 《 どういう気持ちでいっしょに住むの?と聞いたら、》 で紹介した若者二人のその後、です。 あれから、どうなった? 鑑定では結果は出ていました。 異性運の弱い二人は、結婚には届かず、現れる象は別離です。 実は、4日前にまた、彼の母親が相談に来られました。 「 先生のおっしゃる通りでした。2月から同棲して3ヶ月間で破局に・・・ 」 私 『 まぁ! やっぱり 』 「先生があの時言われた、うちの息子の異性運は相手を奪われる運だと、そして金銭もなくなってしまう運だと、、、。 それがまるで絵に描いたように、細部までその通りになりました。』 私 『 ・・・・・・・』 「 まじめな性格の息子ですし、銀行員ですから、まさかそのような事はないと、思っていましたが、彼女が先週の金曜日から帰って来なくて、息子が日曜日に会って問い詰めると他の男性といっしょだったと。 籍を入れてない事実婚・同棲ですから、女性にとっての貞操というのも今時は問えないのでしょうか? お金も彼女が家計や倹約が全く出来ない性格から息子が管理していたらしいのですが、結局はお金の使いすぎで、先月末には、銀行員である息子の通帳の残高は0になっていたらしいのです。」 ほんとうに、不幸が劇的に顕在化することが、現代は多いです。。。 鑑定した運命が、寸分の狂いもなく具現化するのに猶予がない。 なぜなのか? 鑑定が当たる当たらないという事よりも、不幸の顕在化を防御するシステムが人のなかでまったく働いていない、そういうものをずっと感じています。それは何故なのか? 後で述べたいと思いますが、、、 私たちは、一般に人生と言うものは教科書通りにはいかない、考えている通りにはいかないものだという事をどこかで思っています。 1+1=2ではないのだと。 ところが、運命学では命式のまま、そのとおりなのです。 何かが私たちの行動の全てを見通していて、その因果関係の2元方程式からキレイなxとyの解が出てくるように、運命は余りのない現象を、まるですっきりした回答のように目の前に出してきます。 当然それは、それを見通している人にしか分りません。 それが分らない人には、それは偶然、、たまたまそうなったと、気にも留めないか、そう、現象の原因を他のせいにするしかないのですが、環境とか周りの人のせいにね。 運命学では、すべての原因は自分のなかにあるのです。 私たちはどこかで見られている、裁定されている。そういう感覚です。 それか、動かしがたい法則にしたがって無意識下で運ばれている。 そう、それが運と呼ぶものでしょう。 今回の彼らは、現代では、皮相においては恵まれた人間です。 俗っぽい言い方をしますと、彼らの家族は、誰もが憧れる有名大卒という高学歴を持ち、父親はそれぞれが日本一の大学を出て、自己実現をなし、成功者しか住めない町並みに家を構えるいわゆる立派と言われる人たちです。 若い彼らもまた、それらに相応しい教育を受けたと認知され、間違いない人生コースを歩む、そう思われて育てられた将来有望な希望あふれる若者でしょう。 幸せになる人生コースを順調に手に入れて来たと、思ってきたでしょう。しかし古い言葉ですが、" お金でも手に入らないものがある " 気が付いたかしら? 有頂天でもだめなの。 そこでは「 愛している 」という愛が、いつ 「 自己愛 」に変わるか分らないもの。 何かを手に入れるという事は、他の何かをあきらめなければならない。 何かを手に入れるという事は、他の何かを捨てているのです。 人は、同じ時に、違う場所にそれぞれ存在する事はできません。 今という時、ココに居るという事はアソコには、居られないのです。その選択の小さな積み重ね(仏法では業を積むと言います)が原因になって、その結果が人生の動かしがたい差別化された結果になる。 あまりにも選良のなかで育てられ、数字化した世界でいい子でいた彼らには、その間、捨ててきた世界が多くあったはずです。 捨ててきた世界の中に、本当はシアワセの種があったのかも知れない。シアワセの種というよりも、フシアワセを急進的に顕現化しないようにする何か。 知識に価値を置く中で、それらは、捨てられてしまった・・・・・ あまりにも私たちは、心の奥のルーツ・中心にあった東洋の徳性や知恵という価値を軽んじています。 それは、自分のルーツ・自分そのものを軽んじるということに通じませんか? 現代の大きな流れは、自然のありようがデジタル化され、数字化された情報を物差しに、支持率などもそうですが、点数や偏差値、○や×で分けられた単純な標識を自分のセンスで選別するだけで幸せになれる気分にさせます。 まったくの錯覚の世界です。 自然の実相とは違います。 そして自分の世界が自分の思い通りになると。 選べば何でも手に入ると。選べば豊かになると、そう思い込みがちです。ネットで簡単に欲しい物を買うみたいにね。 車も。彼女も。カレシも。しあわせもね。自分が選べば手に入ると。 あはは、 わがままの極地ですね。 (爆) 選んでも、欲しくても、手に入らないものがある。 何故か? それは捨てて来ているからです。 ユニクロの服じゃないのですから、、、簡単ではないのです。 (笑い)
このあと、 このお母様から依頼されて、 彼(息子さん)と会って、話をするという、いいですよ~と引き受けたものの、大変な仕事ができました。
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Last updated
May 22, 2009 09:56:13 PM
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