カテゴリ:女性の生き方
ご訪問ありがとうございます。 今日の映像は、たった一分間の宇宙の旅です。 どうぞ! (笑い) 宇宙の果てから、あなたのいる場所へ、おかえりなさ~い! (笑い) 宇宙は、未知の空間、途方もない暗闇に見えます。陰そのもの・・・ やっとたどり着いた地球の明るさ、光は太陽から。陽そのものです。 陰が本体、そう、途方もない暗闇からすべてが生まれたのでしょう。 暗闇が光を産み出したのでしょう。 東洋の陰陽学の、『陰』 について、もうすこし書かせてください。 陰が本体といっても、 本体だけでは物事、用を為さないのはお分かりですね。テレビセットだけではテレビは見れません。 陽は陰を待って初めて陽であり、また陽があって、陰が生きるのであります。 ところが、なぜ陰にこだわるかというと、今の私たちには、どちらかというと陰はわかりにくく、陽の方がわかりやすいのです。 したがって、特徴も欠陥も、陽の方が認識しやすく、陰の方が認識しにくい。ということは、陰は意識ではつかみ難い、言葉で表しにくいのです。 なぜ、陰は認識しにくく、意識でつかみ難いのか? それは、我々が、今、意識に偏重した思潮の時代に生きているからです。もっと、いにしえ(科学が未発達な時代の)人は、自然をとらえるのに違った捉え方ができたでしょう。特に易学を生んだ時代の民衆は、もっと自然を見るのに今のような意識のフィルターが掛かってなかったと思います。その反対に、陽は、今の時代の多少の誇張があるかもしれませんが、分り易い。私たちの意識そのものと言えるかと思います・・・ 時代は進んでいるのか? イヤ~ どうなのかわからないわ? (爆) 前に理知は陽だと言いました。 西洋文明における理知の科学は、(これも前ブログに)人間の意識に引っ掛かった物だけの存在を認め、名付けて知識にし、そして膨大な知識の蓄積を人間は作ったはずです。しかしその膨大な知識をもってしても現代科学は、命を創造する事はできません。あたりまえですが、科学は自然そのものをありのままに捉える事は不可能なのです。なぜなら人間の意識の網に引っ掛からなかったもの(無意識の領域のもの)は、この宇宙に具わっているものでも、科学はその時にその場に存在しないものとして捨てて、前に進んで来たからです。科学には漏れがあるという事です。 次は、学問は分かれ分かれていきます。分派です。西洋医学はご覧のように病院を見ても、だんだん医療の診療科目が細かく分かれて増えています。一つの症状を治すのに、どこの科に診てもらったらいいのか分らない位でしょう? 東洋医学はそうではありません。どの症状も、身体全体の症状として診ます。 だから、陽(理知など)は、それに走りすぎるとわからなくなります。 わからなくなるという事は、頭が悪いという事ではなくて、元の根幹(陰)から離れてしまって全体観を見失うということです。人間を幸せに導く目的のはずが、科学が進んで進んで先端では、何のためだったのか目的を見失う。原爆が日本に落とされた事は、陰(徳)を見失った陽の代表と思います。 これでは、易学ではなくて、不易学です。(この説明は省きます) 陰は、たとえれば、宇宙の未開の大部分、無辺な、無尽蔵な、無常の反対=いつも在る?(笑い)、無窮な、意識できない=無意識の世界にあてはまると思います。 言い換えればそこに(地球に丁度いいところに)太陽があるということ、そのエネルギーのおかげで生を営むのに丁度の距離ですね。なぜそこにあるのか分らない。運がいいとしか思えない。でも、ある。そこに太陽と地球を配置した宇宙の配慮、それは真っ暗闇に見える大宇宙の力の均衡のお陰ではないかと思います。 陽とは、逆に有限、辺境、無常、という我々の意識で捉えられる五感の意識上の限界のある狭い世界。宇宙から見ると、猫の額ほどの世界かも知れません。もしくは、現象としての形や、数値や、広さや高さ、高貴や富、満足や豊穣などの実現を五感でとらえられる範囲に表出する事を望む欲望と言えるでしょうか。危険といえばどちらかというと陽の方が危険です。才知に走る、利口である、利己的になります。先の原爆の例です。 女は、陰の代表と言いました。どちらかといえば無意識を司る、心の中、目で見えないものの世界を信じる、信心深い、陽の欲望に対して内省、反省、理知より情・仁を重んじ、慈母ともいい、これはいい言葉であります。 さぁ、ここで、我がご相談者さんの数ある体験の中から、 男の方たちが、つゆ知らない (笑い) 女性の能力(夫の浮気は必ずばれる)という一つのお話をしましょう。 Aさんが、夫の浮気を発見したのは、普段通りのある夜のことです。 夜中の12時過ぎまで夫の帰りを待っていて、帰りが遅い事には慣れていたのに、何となくしんみりとさみしい気持ちになって、それを打ち消そうと妙に心を込めて、夫のために何か疲れの取れる飲み物をと用意をしたそうです。これがもう虫の知らせというものです。そうして寝付いたのが1時過ぎ。2~30分後、ある夢を。それは、ご主人の車が走っているのを自分は何にも乗っていないのにテレビの画面のようにず~っと後ろから見ていたのだそうです。夫の車が止まり、建物の中へ。それは、いつか通りがかりに見た記憶のあるラブホテル!目覚めて数分後、Aさんは行動。行ってみようと。夜中の2時過ぎに車を走らせている自分が。道も解からないのに自然とハンドルを切っていたそうです。着くと歩いて駐車場へ、夫の車を・・・車があった! 夢で前もって覚悟が出来ていたので冷静に、、、、、、、 この後のことはご想像にお任せします。 (笑い) が、女の勘とは、さほどにすごい!ものです。 驚かれたでしょう? 私も、仕事柄いろんな浮気の気づきを聞きますが、この件は、みごとに女性が無意識と一体であるという点でダントツ秀逸なのです! このブログを読んでくださっている真面目な男性の方には、本当に余分なことなのですが、女性という者は皆、学歴や知識に関係ない聡い力を秘めている存在ですよ。 (笑い) そう、あの卑弥呼と同じ~女という人間で~す。 あはは!
この男と女が相待って初めて堅実な創造活動があるわけであります。そういう意味で女性教育がたいへん大事でありまして、これによって民族の繁栄、永遠の生命を得ることが出来ます。 なのに、なのに、男性といっしょになれ! と、 戦後、本体である陰を失った日本では、 西洋文明の上澄みにどっぷりつかった今の知識偏重の教育を浴びて、 わが女性たちは、どこへ流されていくのでしょうか? 女こそ陰の本体、徳育を! 古風だと、ウザイと、なんと言われようと心からそう祈らずにはいられません。 青字の部分は、安岡正篤 著の『 易と人生哲学 』のなかから引用、参考にさせていただきました。
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Last updated
July 5, 2009 12:09:26 AM
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