カテゴリ:いのちの継承
ご訪問ありがとうございます。 今日は、前々回の " ○○○ " から、ですね。 まず疲れた体と心に、どうぞ! 癒しのオルゴール 前々回masumienさん、natyururu33さん、マグcupさん、ありがとうございました。 実際、その頃私も花の20代でしたから、(笑い) 最初、母親の 『 育て方 』 かな?父親の 『 人生観 』かな?それが子供の学力の土台かな?と捉えておりました。しかし姿は見えないですが、その両親を形作って間接的に生徒へオーラを与えているのは両祖父母の道徳性ではないかしらと思い至りました。今、多くの方の運命を鑑定しておりまして、益々その認識を深くしています。 進学塾といえば、進路、学力、点数という目で見える評価で、道徳とは、如何に? と驚かれるかもしれません。 当時、道徳から縁遠い若い私が、そう思い至ると云うのは、出会うべくして出会っていた子供たち、彼等から教えられた事が、実は私を運命学へと誘い、人の心の深い部分と、子供の育ち方や学力を含めた能力との関係性に、非常に興味をそそられた事象が多くありました。当時、心がけていたのは、どの生徒の忘れ物も必ず自宅まで届けに行くことでした。そうすればご家族に会えますから。 目立つ存在として "自立して伸びていく生徒" という存在は確かにいます。注意や、叱る事もない生徒たちです。通常のテストでは、難なく100点満点を取ってきますから、単に学力だけではない、何か他の力を感じさせる生徒です。まるで自分の登る山、その登山道を知っているかのように、前に進むことができる生徒です。そういう力は、どこから来ているの? いつもそう思って接していました。おそらく、お育てになっている親御さんも一緒だったのではないかと思います。 あるひとつのエピソードが記憶に残っています。 小学5年生のA君とします。ある日、母親から電話があって、 「 先生、○○市内で日蓮上人のお寺、ご存知ないでしょうか?」 私: 「 さぁ~? 」 ( とっさに質問の意味が分らなくて、又、A君の自宅がある○○市については詳しくなく、A君の受験の話に移ってしまったのです。それから数週間後、電話があった時に、 母親 「 先日の日蓮系のお寺の事、突然すみませんでした。電話帳で捜したら見つかりました。 」 私: あぁ、そうですか、よかったですね。ありましたか。 母親 「 えぇ、急にAが、家は何宗?と訊くんですよ、○宗だと答えましたら、お母さん、仏教では法華経が最高の教えだと日蓮上人が、言われているよ。"なんみょうほうれんげきょう"という題目を広めたんだって、僕の家は何? え? なむあみだぶ? 違う。変わった方がいいよ。お釈迦様の教えのなかで法華経以外のは役に立たないって書いてあったよ。法華経に変えよう! と言い出しまして、、、 私: え!、そうだったのですか~ 母親 「漫画偉人伝を読んだらしいのです。」 私: え~っ! それで、正しいのをって!? 母親 「 ええ、 変えなきゃいけない事だと言い張るので、Aに反論もできないし、わかった、じゃぁ、そうしようと、電話帳で調べて我が家の宗旨を変えたのですよ。(笑い) もう、ご迷惑をお掛けしました」 今でもこの会話は、いろんな意味で覚えています。 彼は自分の計画で受験校を決め、灘中に入学。まるで目標を生まれる前から持って来たように、その目的に必要な当たり前の事として受験を通過しました。自分の目標だから、誰かに頼り、甘えるのはおかしいという風に。子供らしい彼の中に、これだけの行動を生み出すもの、それは、家庭内の価値観、人生観、それらを形作るもの、何を最上の価値として置くかという秩序。その整然とした体系を自然に自分のものにしているかのようです。こういう子に会うたびに、いつから彼らは、これらを吸収し積み重ね、覚えたのだろう? 私は観察する中で、学力という見える形に育つ基になるものは、親のじゃなく、親までの道徳観ではないかしらと思うようになりました。 いわゆる今の時代は、" 父親の経済力が、" 云々のように、道徳のようなものとは遠い処で学歴や進路の現実的な物差しが闊歩しています。道徳なんて古臭い、合理的じゃないわ!という風にね。 しかし、いろんな生徒や父兄、今も鑑定の依頼人を見て、実相はそんな所にあるわけではない、ということを心底、感じております。物事の原因結果は、どの位の時間の巾で見るかと云う事でその推移はまるで違ってきます。目の前の因果関係だけを見ると、先ほどの " 父親の経済力・・・" 云々と学歴の関係はあるかもしれません。しかし、長い長いスパンで物事の因果関係を見て行きますと、本当の原因結果と言うものはそんな皮相的な事柄で左右される程、この世は甘くはないですよ~。お金もちになる為にいい学校へ行く、偉くなる為に勉強をする、そういう動機付けではなく、どういう魂を持った人間になるかと言う事(道徳観)が一大事なのです。あとは、すべて枝葉です。 道徳的な価値観が崩壊している上に、頑張って学力をつけようとして、テストにいい点をとるための目的は達成できても、時のスパンを大きくして望遠とズームで眺めてみると、それはどこかでおかしくなるのですね。道徳的ヒエラルキーがきれいに受け継がれていれば、おのずと親と子の間や、夫と妻との間に信頼関係や生活がしっかりと築かれていますから、子供も自分の前方へ自信を持って歩めるのです。まわりの成長するエネルギーを素直に吸収します。
理想的な運命(学力もそのひとつ)の前提にあるものは、 本人の道徳的素養の高い低いと云うよりも、 継承された命の川上に遡らないといけないかもしれません。 川上から流れてくるものが陰徳と云われるものかもしれません。 それは、日々刻々と、本人の積み重ねによって、変化進歩しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 24, 2009 09:56:49 PM
[いのちの継承] カテゴリの最新記事
|