あらゆるものには何もない
(大乗仏典1:p53:金剛般若経:長尾雅人(訳):中公文庫)より引用『あらゆるものに自我がない、あらゆるものに衆生がなく、命あるものがなく、個我がない』もとの訳は「あらゆるもの」のところが「あらゆる法(もの)」になっていますが、法(もの)と言われてもなんのことやらわからないので、「法(もの)」をたんに「もの」としたほうが親しみやすい気がします。「衆生」というのもなんのことやらわからないのですが、まあ、とりあえず「心」としてみたら…ああ、これのほうがいい感じだな、『あらゆるものに自我がない、あらゆるものに心がなく、命あるものがなく、個我がない』(大乗仏典1:p53:金剛般若経:中公文庫)より引用(のようなもの)すべては思考が生み出したもので、「思考でない何か」についての思考もまた思考が生み出したものにすぎず…それもまた……なので、とりあえず沈黙して(みようと試みて)心身に何が起こるか実験してみるしかないのだけれど、人は実験することができるし、沈黙しないと(沈黙に近づかないと)体感できない。