芸術の哀しみ
思うに、生きてきたところ、人生においてすごく価値があると若い頃、ほんとに本気で思いこんでいた、いわゆる芸術、文学なり映画なり音楽なり美術なり、そういったいわゆる芸術が、年を取るにつれ(ぼくの人生においては)、思ったほどすごくはないと確信するようになってゆき、かといって、残りの人生を真剣に見つめてみるつもりになってみたところで、思考を落とそうと試みる数十分なり数時間なりはいいとして、1日中思考を落とそうと試みる、なんてのは(ぼくには)うまくはゆかず、では、自由時間に何を選ぼうか迷ったとき、思考を落とす試みのほか、いわゆる衣食住の欲望が満たされるなら、そのあと、いわゆる実社会のことには(ぼくには)ほとんど関心なんて持てず、なので、ほとんど興味のない、いわゆる実社会(いわゆる実社会で暮らしているからには、どうしようもなく実社会に関わっている自分は、たとえば、実社会のせいで殺されたって、しかたがない、と理屈では捉えている、そういった実社会)のことに本気で関わる気にはなれず、そうすると、自由時間に何をしたいかと考えると、思考を落とす試みのほか、いわゆる芸術に関係していることしか思いつけなくて、とはいうものの、芸術なんて、若いころ考えていたような価値なんて無いと、いまとなっては確信してしまっていて…