「瞑想的な思考」と「思考を落とそうと試みること」
「瞑想的な思考」と「思考を落とそうと試みること」とは、つながっていると思う。「瞑想的な思考」というのは、たとえば、「きょうが、残りの人生のうちの数十年のうちの数年のうちの1日なら、いずれ、残りの数年のうちの1年のうちの1日になり、いずれ、残りの1年のうちの数か月のうちの1日になり、いずれ、残りの数か月のうちの1か月のうちの1日になり、いずれ、残りの1か月のうちの数週間のうちの1日になり、いずれ、残りの数週間のうちの1週間のうちの1日になり、いずれ、残りの1週間のうちの数日のうちの1日になり、いずれ、残りの数日のうちの1日になり、いずれ、残りの1日のうちの1日になり、きょうは、残りの1日のうちの1日…」といった思考とか、「観察している「私」が観察している対象は何か? 観察されている対象が「私」に登場するのと、観察している「私」が登場するのとは同時である。 観察されているものと観察しているものは同じである。 「私」に見られている(聞かれている・触れられている)のは「私」である。」といった思考で、「思考を落とそうと試みること」とつながっていると思う。どちらも感覚としては、深いところにもぐってゆく感じである。