救い
詩を書くことで、たしかに、私は救われている、と思う。ただ、詩を書くという救済行為は、いったい、どうゆう仕組みで私を救うのか、考えだすと、簡単にはゆかない。なぜか?私は、(詩を)書くとゆうことが、よくよく考えてみるならば、たいしたことない、とゆうか無意味とゆうか、けっきょくのところ、書かなくてもいい、と心の奥では思っている、らしい、のだ。だったら書かなくてもいいのに、なのに、にもかかわらず、(詩を)書くことが私には救いになっているのは、しなくてもいい数多くの物事のなかから選んだいくつかの、しなくてもいいけれどすること、のなかに詩があるのは、ああでもないこうでもないと、(詩を)書くことをめぐってゆく快楽が、私の場合、私の享楽の本質に浸みこんでいる、のだ、たぶん。