なつかしい、中学のころ
小学校のとき、学校に行きたくなかった。(かといって、家にもいたくなかった。学校も家も嫌だった)学校では骸骨(ガイコツ)と言われ、あだ名は、オンコン(オンは女、コンは根性、で、女根性を略してオンコン)で、教室ではプロレスわざをかけられ泣いてたし、家ではテストの点数が悪くて母に叩かれた弾みで体が浮かび、皮膚には母の手形がくっきり張り付き(6年生のときでさえ、僕の体重は20キロ台だった)、毎日毎日、泣いてた。小学校の時、国語の点数を良くするため、作文(書道)の時間には、僕の書いた作文(書道)を提出するのは許されず、母の書いた作文を暗記して(書道だとカバンの底にこっそり隠し持って)提出させられてた。小学校の頃、誰もいない理科室に忍び込み、電灯の消えた暗い理科室に忍び込み、試験管をこっそり窓から外へ転がり落としてコンクリートの地面で割るのが、小学生のときの楽しみだった。中学は楽しかったな。中学の朝、登校したら、女子トイレはタバコの煙で覆われてて、驚き、新鮮で、とにかく人生がうれしかったし、女子の家庭科の料理の授業(そのとき、男子の授業は技術(工作)だった)では、女子のほとんどがなんと、持ちこんだ大量のアルコールで酔っ払ってて、次の国語の授業には女子は誰ひとり出席せず、教室には男しかいなかったな。なつかしいな。すごくうれしかったな。成績優秀な僕が職員室に行って、「Aさん(中学の同級生)が体調悪いので、いったん家に帰って、昼からまた来ると言ってます」と担任教師に連絡したら、「二度と来るな、と言っておけ」と言われ、ワクワクしたな。T中学校、なつかしいな。あのころ、将来の夢は、学校に行かず仕事に行かず好きなことして暮らすのが理想だったけれど、もちろん、そんなことうまくゆくはずなく…だけど、いま、ようやく、学校に行かず仕事に行かず、自由に暮らして、とてもうれしいです。