「ティファニーで朝食を」
トルーマン・カポーティの「ティファニーで朝食を」という小説の冒頭部分の十数ページほど(とくに1ページ目)が大好きです。10代の頃も好きだったし、今だに好きです。(ただ、残念ながら、主人公が登場してから後は(ようするに、小説本体)あまり好きではありません)新潮文庫から村上春樹さんの訳と龍口直太郎さんの訳が出ていますが、(と書きかけて、ちょっと気になって調べてみたら、龍口直太郎さん訳(旧訳)の方は中古しかなく、絶版でした)1ページ目の終わり辺り(僕にとって最高の辺り)を引用してみます。龍口直太郎さん訳は、『たった一つしかない窓は、非常口に向って開くようになっていた。そういうお粗末なところだったが、ポケットの中でこの部屋の鍵に手が触れるたびに、私はとみに元気づくのであった。いかにも陰気臭いところではあったが、それでもそこは、私自身の場所と呼べる最初のところであり、そこに私の書物があり、削る鉛筆が何本も立っている鉛筆立があり、そのほか私がなりたいと思っていた作家になるために必要とすると感じた、ありとあらゆるものがあったのだ。』村上春樹さんの訳だと、『窓はひとつしかなく、それは非常階段に面していた。とはいえ、ポケットに手を入れてそのアパートメントの鍵に触れるたびに、僕の心は浮き立った。たしかにさえない部屋ではあったものの、そこは僕が生まれて初めて手にした自分だけの場所だった。僕の蔵書が置かれ、ひとつかみの鉛筆が鉛筆立ての中で削られるのを待っていた。作家志望の青年が志を遂げるために必要なものはすべてそこに備わっているように、少なくとも僕の目には見えた。』でも、なんといっても原文ですね。原文は、『The single window looked out on a fire escape.Even so, my spirits heightened whenever I felt in my pocket the key to this apartment; with all its gloom, it still was a place of my own, the first, and my books were there, and jars of pencils to sharpen, everything I needed, so I felt, to become the writer I wanted to be.』では、僕も翻訳に挑戦してみましょう。『ひとつしかない窓が非常階段に面しているような部屋だったけれど、ポケットの中でアパートの鍵に触れるたび、わくわくしたものだ。なんとも陰気な部屋にせよ、はじめての、僕のための場所だった。本とか、削る鉛筆の何本も入った鉛筆立てとか、そのほか、なりたかった作家になるために必要と思われるすべてがそこにはあった。』まあ、なんというか、小説を書きたかった若い僕は、小説を書こうとしている青年に感情移入したわけですが、けっきょくのところ僕の方は挫折し、けれども、小説を書くことには挫折したけれども、もっともっと不思議な体験を手にいれることになるのでした。