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カテゴリ:瑠璃光記
白黒のパンダ。秋に展示会の受付していた時に、来場したおじさんからいただいたものですす。おじさんの手作り・・・こんな年寄りになりたいです さて。 人が変わるのは、一瞬なのだなぁと、思います。 気がついたら変化している。 生きている中でいろいろなことが起こり、何とかしようとあれこれジタバタします。 えぇそれはいつもいつもそんな感じで。でもきっと人ってそうやって生きてきて、未来永劫そんなことを繰り返していたりして、その中で喜怒哀楽の気持を味わい、熟成させてお茶の一服を、んまい・・・なんて言いながら最期の時を迎えるのかもしれません。 いつも同じ事を繰り返して、やれやれまたか・・・とためいきをついたり。 日々、自分を叱咤激励し、誉めたり反省したり、罪悪感に陥ったり、思うにまかせぬ人や、ままならない世間や時代を怒ったり恨んだりしつつ、でもまずは自分だろう・・・と、スパイラル状態。 相変わらずの自分を、アホやなぁとぼやき、呆れてみつめたりして・・・そのうち、そんな自分に愛着を覚えて。ま、いろいろあってアホだけど、ちょっとかわいいやっちゃと そう、そんな時。 人は、すっと変化していく。 ふっと肩のちからがぬけて、もうどうでもいいわい、アタシはアタシ。文句あるかい!と啖呵を切ったあとに訪れる静かなあたたかい瞬間。 だからと言って、じたばたし過ごしていた時間がまったく無駄という訳ではないけど、実はあまり深い意味はなさそう。なくてはならないけど、インターバルの時間。お酒をかきまぜるタンブラーくらい。しかし、魂が深く根を張り、熟成するのは、おそらくそんな時間かも。 自分で、自分が変わったなぁ・・・と感じるのは、どんなピンチの時でも、美味しいものを食べて「おいしいなぁ」と心底満足して幸せを感じることができること。 きっと渦中にいても、「ちょっと休憩」とばかりに、その悩みや問題を横にいったん保留して幸せを味わって、その後、また渦中に戻ることが出来る。 若い頃はこれが出来なかったし、一度辛いことがあると、何があってもずっと辛かったし、ずっと辛い音楽のBGMが流れていたし、小骨が奥歯にはさまった状態で24時間楽しくなかった。焦点がそこからはずれなかったし、はずしてはいけないと思っていた。 くもりなく澄んだ水に、一滴の汚水も許さない潔癖さがあって、それこそが自分を苦しめていたのでした。 今は、それはそれ。でもこれもこれ。あの辛さは辛さで100%辛いけど、それは、この幸せにまったく影響しない、ってわかった。というか、決めた。 そして、内なる泉はこんこんと澄んだ水を生み、汚水さえもどんどん流れ清まっていくことに気づいたから。 歳を重ねてよかったのは、そんな自分が生まれ育ち、そしてそういう自分を愛しいと思えること。 白と黒。世界を二者択一で分けることにこだわるとたいそう苦しいし、そもそもその前提が間違っている。 世界は混沌としていて渦の中にあり、その渦中で自分のアンテナを立て、自分の好きな音を受けとり、発信し、自分の中に自分の心地良い空間を創りあげていくことこそ、生きていくことなのだろうと思う。すべての中で調和を感じながら。 だから、世界は自分の内側にある。 私が変わると、世界が変わる。 そういうことなんだな。 お知らせ まもなく、限定部数は終了になります。お早めにお申し込み下さい。 来年二〇一二年は、マヤ暦によると大きなサイクルが終了し、新しい時代に入る年です。そんな年に、この『寿ぎ暦2012』を皆様のおそばに置いていただけたら幸せです。 → 『寿ぎ暦2012』 追伸 募集しています →ふーちゃん(メス・5歳)&ちーちゃん(メス・3歳)の里親さん とってもかわいい猫ちゃん達です。どうかこちらも良縁がありますように お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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