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3・11から一年が過ぎました。
一年前、あの時間に私はお宮のお札場にいて、参拝者にお札を渡している最中に大きな揺れを感じました。 「ようこそお参りくださいまし・・・?え?」 裏山で、ゴゴゴゴ・・・と地鳴りがし、そこで揺れているのは建物そして大地であることを、お札を通じて参拝の方と私で感じて 「地震・・・?」とふたりで顔を見合わせたのでした。 そして、社務所にいた全員が事態に気がつき、ご本殿で祈願を受けていた方々も急いで避難されて建物の外に出ました。余震も続いて起きていて、揺れは小さくはなってもなかなか収まることはなく、それでもその時は、津波のこと原発のこと、まったく考えも及びませんでした。 その後、参拝に来た方はお一人。私が担当でしたが、途中でまた大きな地震があったら祈願は途中で止めますとお伝えして、祈願を行いました。 とても印象的なお名前でしたので、(このことは一生忘れまい)と思いつつ祝詞をあげたことを覚えています。 ところで、あの地震にもかかわらず、お宮に参拝に来た方の中で、まったく地震に気がつかなかった方がいました。 全国をバイクで放浪していた若い男性。地震の最中ずっとバイクに乗っていたらしく、「何があったんですかぁ?」とあっけらか~んと聞いてきました。 また、参道で脚立に乗って植木の手入れをしていた方も「何か?」、と。 津波の時、沖合に出た船乗りとサーファーが助かったと聞いたのは、この地震ではなく海外のことだったかうろ覚えですが。 自身が揺れている時、何かの拍子で没頭している時、また、その波に共鳴している時は、それらに反発してぶつかることはないのか・・・とふっと感じたことを、一年経った今、思い出しています。 知っておくこと。むやみに怖れないこと。備える心構えは必要だが、やるだけやったらなるようになる気持ちでいること。平安な心持ちでいること。 そして何より。今ここで幸せである自分を大切に生きること。 この一年。 私はしばらく揺れ続ける身体と心を感じながら、あの津波の映像を繰り返し見続けることで、かなりのショックを受けていたことに後で気がついたり、原発の事故の際は家で祈り続け、絵を描き続けていたり。 その後、福島の被災者が市内に避難して来た時はそこへボランティアに行き、また必要な方を紹介し、農産物を購入し、花の生産農家と神社のチャリティバザーをつなげようと試み、龍笛を吹き・・・直接現地にボラに行くことはありませんでしたが、ずっと被災地を意識して過ごした一年でした。 先日、原発反対のデモがあり、参加しようと一時は考えましたが、当日は家でゆったりと過ごしました。 個人的には、原発はまだ人類が扱うには未熟すぎ、子孫に大きな負債を残すので、これを機に地熱や太陽などの自然エネルギーに転換することがいいと考えています。そのためにデモも必要かもしれませんが、その日私が選んだのは、今日一日を心穏やかに幸せでいようということでした。 大きな事もみつめながら、今ココの自分の心をしっかりとみつめる。 自分の感情をこそていねいにあつかい、大切に過ごす。 今日、ついつい甘えが出ていろいろごちゃごちゃになる家族で話す時間を作りました。 そんな一日でした。 追伸) 「寿ぎ暦2012」原画展のお知らせ → コチラです お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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