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カテゴリ:私という人間
1年前の私には、仕事に家事に育児など「やらなきゃいけない事」がいっぱいあった。真夜中から朝にかけて働き、帰宅後は朝食の準備と家族のお見送りを済ませた後、末娘の育児が始まる。まだ一歳の娘は遊び盛りで、家事の合間にも構ってあげなくてはならない。この時期、私の睡眠時間は3〜4時間だった。娘がお昼寝してくれた時にだけ得る事の出来る貴重な睡眠時間だった。
それでも私は働き続け、動き続けた。何も辛い事なんて無かった。そのうち眠らなくても大丈夫な身体になり、食欲も全く無くなってきた。気が付けば私は「拒食症」「不眠症」になっていた。それでも私は働く事を止めなかった。食べなくても眠らなくても身体が軽くてとても元気だった。 今は「辛い時」「苦しい時」には、きちんと身体が教えてくれるようになった。怠くて起き上がれず、電池が切れた玩具みたいに「ピクリ」とも動く事が出来ない。こんな時は何もしないで「ひたすら」動けるようになるのを待つしかない。 学生の頃、朝の登校時に私は玄関で立ち上がる事が出来なかった。とにかく身体が重たくて足が立たないのだ。母からは「遅刻する」と叱られたがどうにも出来ない。私だって何故こんなに動けないのかわからないのだから。「身体が動かないのは身体の不調なのだから学校へ行けば元気になる」と説得され泣く泣く学校へ行かされた。あの頃は本当に辛かった。 身体が動かないのは「身体的」だけでなく「精神的」な理由もあるのだと最近気がついた。 。。今日はここまで。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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