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ふらふら~~(霧の中) って感じだね。。 ここはどこ?(・・ )。。。( ・・)私は誰? みたいな気分にたまになります。 意味の病に冒された私たちは、支配的な象徴秩序の中で、安定した意味の世界内で、それぞれの生を見出す。 安定的秩序からはみ出してしまった者は、自己否定においてのみしか、日常には戻れない。 そして、世界の不条理と自己存在の小ささに。世界の無関心と無限大とも言える自己肥大に。戸惑う。 だが世界を敵に回したとき、自分すらもその世界の中の存在であることに、人は気付くだろう。 全ての言説が相対化され、無効化されたときにおいても、意味は消えてしまったりはしない。意味の病は死ななきゃ治らない。 霧の中を ふらふらと 彷徨っているときも自分を見失わないのは・・・ 正確に言うと、見失うことが起こらないのは 今まで生きてきた歴史。記憶。 ずっと支えてきてくれた、家族、友人。 その他の大勢の出会ってきた人のおかげ。 そして今、濃い霧と一緒に私を包んでくれている おしつけがましくない、素敵なわがままさんな、誰かのおかげ。 感謝はしてる。 みんな。 でも、感謝は言わないよ。 感謝を言うときは きっと、言わなくても伝わるとき。 ほらね 意識がなくなりでもしない限り 意味などなくならないのさ。。。 世界よ、ありがとう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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