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カテゴリ:長男の病気
脳外科病棟ではトイレつきの個室でしたので、マイペースでなんでも
出来ていたのが、急に4人部屋になったので、最初はとまどいました。 それも、小児科ですから、赤ちゃんや幼児が多いです。 夜泣きやドタバタ・・こちらも抗がん剤の点滴が始まりますと時間関係なく 吐きますので、周りに気をつかいます。 お互い様とはいえ・・大変気をつかう毎日でした。 個室にしてもらいたかったけれど、もっと重症の方優先ということでいつも 空きはなく、仕方なく最後まで相部屋でのりきりました。 救いは窓側だったこと。それも以前は海側で海が見えましたが、今度は お店や車がはしる道路が見えるだけ。ちょっとがっかりでした。 今度の主治医は若くてきれいな女医さんでした。 息子に病気の説明をする時に、『ガン』という言葉だけ使わないで欲しいと いいました。 脳腫瘍という病名、頭の中に腫瘍があってそれを退治しなければ退院できないと いうこと。 その治療には、吐き気や脱毛という副作用がある点滴や放射線をしなければ ならないということは納得させていましたが、やはり年頃の息子の年齢から考えて ガンという言葉はなるべく使いたくありませんでした。 やはり・・・いいイメージはありませんから。 小児科に移ってすぐに、院内学級に入りました。 病院内に学校があるのです。 といっても、その当時、中学生は二人だけ。 先生とマンツーマンで授業が行われます。 調子のいい日は3階の教室へ行って授業をうけますが、体調が悪い日は ベッドサイドでお勉強です。 先生はベテランの女の先生でした。 「脳腫瘍の子を何人も教えましたが、みんな、元気になって退院してるから ●●くんも頑張って克服しようね。」 と励ましてくれました。 あと、私が教えた子は何故か罹患が中一というのが多いですね。それも、スポーツをやってる 男の子がほとんど。何か関係あるのかしら?」ともおっしゃってました。 小児科病棟は小さい子がほとんどで、話し相手になる子も友達になれそうな子も なかなかいませんでした。 そんな中、院内学級の先生が紹介してくれたのがFくんのお母さんでした。 Fくんは白血病で入院している中学二年生の男の子でした。 Fくんは丁度入院半年でもうすぐ退院されるということでしたが・・ しばらくの間は廊下で会うとお話をしたりさせてもらいました。 Fくんと息子が交流できたらよかったのですが、Fくん自身には病名を告知していない ということで、お母さんもあまりまわりの人と接触させるのを嫌っていましたので なかなか難しかったです。 告知という面では、私は正直に病名を告げてよかったと思っています。 その子の性格とか色々その家庭ごとで方針はあるでしょうが、秘密なしで 家族みんなで病気と向き合って闘えたことはよかったと思っています。 もし、告知していなければ、病名に気づかれないようにしなければ・・・と いう余計な気苦労が増えてしんどいだろうから、息子には助けてもらったかもしれません。 病気の原因は不明です。 ただ、息子の腫瘍は私のおなかの中にいた頃にその要素ができていたと聞きました。 細胞分裂する時に、例えば歯になるべきもの、髪の毛になるべきもの・・・が 原因不明で頭に残ってしまったらしいです。 後々、ここの大学病院の脳外科の教授がこのことを 『神様の忘れ物』と言った表現をされていました。 神様はむすこの頭にとんでもないものを忘れて行ってくれたのだな~と思いました。 入院中はたくさん本を読みました。 特に江原啓之さんの本は何冊も読み、勉強させてもらいました。 一番最初に友達から頂いた「苦難の乗り越え方」という本には随分影響を 受けました。 つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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