テーマ:家族が癌になって・・・(201)
カテゴリ:私の事
4月6日午後4時50分 母は永眠しました。
5年間の闘病生活 最後まで頑張った母でした。 4日に姉から『お母さん普通になったよ~優しい言葉言ってくれた』 と携帯で話した翌日の朝に病院から電話で 『食事もとれないし、血痰も沢山でるんです』 と話をされました。 菜々子は、いつもの事と・・・ また元気になると・・・ 安易に・・・ 子供達を連れてすぐ帰るつもりでいきました。 病室に入ると母は息をするたびに顎が持ち上がり 痰がからみ大変苦しそうでした。 少しして姫がトイレに行きたいと言ったので 連れて行くと看護婦さんが 『心臓がとまりましたよ!身内の方に早く連絡して!』と言われ 訳が分からず涙があふれ 姉とダーに電話しました。 姉が病院に来るまで、また心臓が止まりましたが 大声で呼んだせいか息を吹き返しました。 それから菜々子と姉と姉の娘が病院に止まり 眠れない一夜を過ごしました。 その間に姉が『ようくんが入学式だから頑張って生きて~』 なんて声かけしたせいか 母は頑張ってくれて入学式には出席できました 亡くなる少し前は痰もからんでいなく 呼吸も少しずつ消えていく感じでした。 菜々子が『お母さんお疲れ様ね』と言うと 母は『うぅ~』って答えてくれました。 喧嘩ばっかりして一緒にいたお母さん 最後に話した時の母は 菜々子に悪態をついてました(苦笑) でもね。 3月20日に危篤 21日は元気になって 菜々子の作って来たお弁当を少し食べてくれました。 その時沢山話しました。 ミシンの使い方や今までの想い出話し 印象に残るのは『ここで一緒にお茶のみしたいね』 とニコッとしていた事 よく甘いものを食べて二人でお茶しました。 今思えば後悔ばかりです。 姫が熱が出たと病院に行かなかったり 食事中に痰を出すが嫌で 階段を下りるのが困難になった事をいい事に 2階に食事を運び独りで食べさせてしまったり 京都に行った時も 菜々子が道を間違えた為に 沢山歩かせて観光が出来なくなってしまったり 毎朝の食事のメニューが考えられずに 瓶の佃煮を出してしまったり もっと・もっと沢山してあげれば良かった なんで頑張らなかったんだろう! 病院にも沢山一緒に止まってあげれば良かったって 後悔ばかりです。 まだまだ心の整理がつかなく一瞬・一瞬で涙が出ます でも誰かと話す時は笑顔で話さなくてはならないギャップ 今までの日常が待った無しに来るのが苦しいです。 どこまで頑張ればいいのかなぁ~ きっと時間が解決してくれますね 長々と書きました 読んで頂き有難うございます。 また元気な生地をUPできるようになりますね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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