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2021.09.04
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カテゴリ:テレビ


主役になった。

ようやく百音のドラマが始まった。
先週までの「おかえりモネ」はどこか傍観者の百音のドラマだった。
登米編では津波を見ていない、その被害を体験していない人間として、地元が被害にあった者として、その土地に住んでいた者として、その時に、その場にいなかった疎外感、場外者としての引け目を感じ、地元から逃げたい、出たいというただその思いだけで外に出た何者でもない若者がいた。それゆえ、見ていても百音がどこに向かっているのか、何をしたいのか、どうしたいのかが判然とせず、スッキリしない感じがしていた。その釈然としない感じが隔靴掻痒のようにもどかしさというか、もうひとつ踏みこめない、ドラマに一喜一憂できない、いまひとつ面白くないなぁと感じさせていた。しかるに、それはこの作品の表現であり、百音を描く序盤として十分に描いていたのである(と今は思っている。その時点ではわからなかった)
スロースターターのような百音がいろいろと思い感じ次から次へとやりたいことやってみたいことにあふれ、周りの思いなど気にすれど、最終的にはお構いなしで、自分の進むべき道を往く。それゆえ、上京し、気象予報士としての職に就く。憧れていた先生にも受け止めてもらえてつきあえる(?)仲になった。そして、今週である。
行方不明となっている(遺体が発見されていない)母の死亡届を出すのかどうかということで心が揺れた亮ちんが、どうにもならない気持ちを積年の恋心とともに百音にすがろうと上京する。一時、音信不通となった亮ちんを見つけ出し、百音は風呂屋である借家(?)、同級生が待つ住まいに連れ帰る。
話は同級生との語らいになるが、ここでの三生(みつお)の言動が素晴らしかった。見ている者の目を見張り、心を打った。それは、その場にいた同級生も、その出演者も同じだったのではないか。前田航基が演じる三生(みつお)は泣き笑い怒りがないまぜとなった状態でうったえかける。UFO(ユーフォー)はいたんだと。その荒唐無稽な言い分は彼が言いたいことの証であり、仲間であり運命共同体であった若者たちの気持ち、心、心情そのものであった。
横道にそれるが、この時、前田航基はいい芝居をしたな、と思った。演技ではなく、その場に三生(みつお)として存在した。
さて、百音である。
このドラマは直接的表現を避けている。亮ちん(永瀬廉)の「わかるっしょ」という表現はズルい。”好きだ”と直接的表現はしないで、わかれよと迫ってくる。それを切り返す百音の言葉も「それでいいの!?」とくる。”それはわかりたくない”、”わからない”すなわち”好きではない”とは言わない。友情と信頼と一線を越えない越えさせない関係は見どころであった。この後、百音が妹、未知(みち)から発せられる言葉は辛辣(しんらつ)だった。「お姉ちゃんは正しいけれど冷たい」。とてもショックな言葉であるが、百音を言い表す言葉として完結で的を得ていると思える。
さて、その百音がこの後、百音に会うためだけにやってきた菅波(坂口健太郎)を前に、「先生がどこにいても応援するけれど、私の目の前からいなくなるのは嫌」と告げる。涙がにじみふるえる百音。他人=亮ちんに対しては冷たく(?)、いや、毅然とふるまったのに自分のことではこんな感情になるんだとひるみ、打ち震え、思わず菅波の手を掴む。感情を表に荒々しく表さない百音にできる精一杯の行動だった。菅波は掴まれた手を振りほどき百音を抱きしめる。
今週、いきなり恋愛ドラマになったなぁ、と思った。
”好き”とか”愛している”という直接的表現がほぼ出てこないドラマで恋愛ドラマとして展開したことに驚きを感じた。ここで見せた清原果耶の芝居も素晴らしかった。演技ではなく、その場に百音として存在した清原果耶。何かあると眉間にシワでなく、眉間が突起する(デコボコのわずかなデコ)清原果耶。このシーンでもその表情を見せ、涙に滲み、自身の感情に戸惑う姿は百音そのものであった。芝居を越えた表現に驚き、主役になったなぁと思わせてくれた。朝の時間に時計代わりに見るドラマでなく、腰を落ち着けて見なくてはいけないドラマになった。
これからが楽しみである。





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最終更新日  2021.09.04 11:00:56
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