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テーマ:連続ドラマ(14)
カテゴリ:エッセイ「人間50年その後…」
エッセイ「人間50年、その後…」⑪
私の役者人生は24年だった。 24歳で上京し、飯のタネの仕事を失う48歳までの24年。 3年頑張って目が出なかった帰郷するという親に誓った言葉を反故にして、30歳までには売れたい。たとえ、売れなくても役者で食べていきたいと思っていた。 上京を決めたけれど、どこかの養成所に入るあてもなく、軒並み受けた入所試験は惨敗するも唯一受かった養成所に通うことにする。日中はアルバイトをすることにしたので夜間部へ。一番若い同期生は高校卒業してすぐの6歳若いティーンエイジャーだった。世代格差で話がかみ合わないことだらけであったけれど若者文化を教えてもらい吸収していった。丸2年、勉強したが、卒業時に行われる事務所試験をクリアできず所属とはならなかった。プータロー、まったくの無所属、無職(アルバイトはしていたけれど)となった私はあせり、4月にまだ募集していた劇団付属養成所の専科に編入した。それは本科1年、専科2年の2年制の養成所であった。その2年目に編入した私は本科生あがりの若者たちからは演技力ありの者と見られたようで、なおかつ転校生のようでもあり注目と関心を集めた。ただ、そこでの1年の役者修行も実を結ばず、そこの劇団に入団することは叶わなかった。またもやの無所属である。(アルバイトはしていたけれど) 昔話をして恐縮だが、役者修行、養成所で勉強しているとセリフを覚えるのが役者の仕事ではないとわかってくる。セリフを覚えるのは当たり前。その後、何をするかだ。主要な役であれば役作りを求められるし、ちょい役であろうとその役にならなければならない。会社員役なら会社員に重役役なら重役に、店員役なら店員に店長役なら店長に、ならなければならない。演技を学び始めた頃、自分のセリフを覚えるのにも精一杯、相手役のセリフを覚えるなんて思いもよらぬことであるが、相手のセリフを覚えていなければ自分のセリフを言えない、即ち、自分のセリフを言いだすタイミングがわからないということが最初にわかる。ゆえに相手のセリフを覚えることはもちろん、複数の人が絡んでいる場合にはその場にいる人たちのセリフを覚えるのは当然である。 今日(5月10日)WEBの記事(コラムかな?)を読んだ。 <以下、引用> 「撮影初日にはすでに木村さんの台本はボロボロ。中に赤線もびっしりでした。自分のセリフだけでなく、共演者のセリフも覚えているんです。そこまでする役者さんは木村さん以外に見たことがありません」(前出・芸能プロ関係者) 台本はボロボロ、中に赤線もびっしり、なのは木村拓哉さんだけかもしれないけれど、共演者のセリフを覚えているのは出演者全員だと思う。台本をもらっていないエキストラはセリフなんて知らないし、覚えることもできないのは当然だと思える。 共演者のセリフを覚えているだけで主役を盛り上げようとするのは役者というものを知らない人だと思える。 昭和の時代に共演者だけでなく自分のセリフも覚えないスターがいたようだけれど、それはその時代のそのスターにだけ許された行為だと考える。 余談になるが、フジテレビ「教場0」の視聴を私はやめた。初回と2回目だけを見た。視聴をやめたのは面白くないからである。なぜ、面白くないか。ドラマが陰鬱である。木村拓哉が主人公であるのに脇に回っているように感じられる。狂言回しなのかもしれないが、それだと木村拓哉の魅力が感じられない。華やかさがない。とにかく暗いイメージで月9というきらびやかなイメージにそぐわない。あと単発ドラマの教場で見ることができた、木村拓哉演じる風間公親の冷たさが冷たいのではなく人命保護などきちんとした理由があっての文言だったということがわかり納得する展開があった。この2回を見るとやたら冷たい指導官というだけで視聴者が感嘆したり納得したりするネタがなかった、あるいはそういう描き方になってなかった気がしたからである。
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最終更新日
2023.05.11 07:00:07
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