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テーマ:原発について考える(377)
カテゴリ:エッセイ「人間50年その後…」
エッセイ「人間50年、その後…」⑫
今週末サミットが広島で開催される。 岸田首相が出身の広島で開催される。 サミット参加国の首脳たちが長崎を訪れていたニュースが目に入ったが、長崎・広島と訪れて何を標榜しようとしているのか。あるいは、何か宣言を出したいのか。 東日本大震災で福島の原発がメルトダウンを起こしかけて、今なお廃炉にできず、汚染水を増やし続けているように思える。 本来なら、この原発事故を受けて、脱原発に向かうべきものだと思えるが、当時の政権は原子力発電を停止しただけ、その後の政権はなすすべもなく、現政権は再稼働、延長使用を行っている。 ドイツは脱原発を成し遂げだ、隣国フランスでは原発推進である。 電力の構成比をみると国によってずいぶんと異なる。 脱原発を遂げたドイツの原発の割合が日本より多いのに、原発をなくせたのである。日本にできないとは思えない。フランスを見ると半分以上の電力を原子力で作っているのだから、脱原発は困難だし、また考えられないのだろうと思える。日本の場合ほとんど稼働していないからこの割合なのかもしれないけれど、だからこそ脱原発へ進みやすいのではないだろうか。太陽光の比率を上げて現在の倍の発電量になれば、原発がなくてもやっていけると思える。 さて、岸田首相が就任当初は何かをやってくれる、改善してくれると期待したが、思ったほど活躍はしていない。コロナ禍の対策に追われたということもあるだろうけれど、他国に押されて軍備増強の道を走り始めたと思え、感心しない。戦争反対とは真逆ではないだろうか。 こんなにも老人が増え、少子化が進み、社会保障問題が重くのしかかっているのだから、そのことを最優先にすべきだろうと思える。沖縄の基地移転問題も真摯に考え対応すべきである。日米地位協定もドイツで改善されたように日本人と米軍人が平等に扱われるよう改定すべきである。 問題山積、難題多し。 多くの難問を後世に残していいはずがない。 岸田氏が首相になって何か変わった感じがするが、人が変わっただけで、かわっていないことが多い。というより悪化していることがあるのではないだろうか。 日本は民主主義社会である。にもかかわらず一党独裁のように自民党が支配しているようなのはいかがなものか。国会議員として国に尽くそうと思っている人が自民党でなければできないと自民党に鞍替えしていくこともいかがなものか。政治信条はないのだろうかと思ってしまう。一部に人気のある野党も褒められたものではない。単独で自民党に対抗できないのであれば、たとえ野合と言われようと薩長同盟のように手を組んで新しい世の中を、新しい政治を目指すべきである。 次期政権、次期内閣として40代50代の政治家の決起を期待したい。
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最終更新日
2023.05.16 07:00:08
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