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テーマ:プロ野球全般。(13352)
カテゴリ:エッセイ「人間50年その後…」
エッセイ「人間50年、その後…」⑬ 「野球人生」
私の兄の同級生にNという男がいた。 家も近所、徒歩3分ほどのところに住んでいた。 昔は子供の数が多く、向こう三軒両隣、徒歩1分程度で10人以上の子供がいて、うちも兄妹で4人、はす向かいには三人兄弟、さらに隣に二人の兄妹、逆方向に二人の兄弟と隣り合っただけで11人いた。それゆえ彼らとは常に交流があり、親たちも特に母親同士が井戸端会議などで仲が良かった。ゆえに徒歩3分といえどもまったく遊んだことはない。 しかし、Nは有名だった。リトルリーグで活躍し、スラッガーとして注目を浴び、近所でNを知らないものはいなかった。もっとも昔は町内に住んでいるものであれば、どこそこの息子、娘としてよくしられていたので、なんの活躍をしていなくてもみな知っていたけれど。とはいえ、Nは町内だけでなく広く知られていた。野球が唯一無二の人気スポーツだった頃なので噂に上ることも多かったのだろう。 さて、そのNはどこの高校に行ったかは知らない。甲子園に出ていないのは確かだ。それほどまでの活躍はしていないのに注目はされていて、スカウトなのか入団試験を受けたのだかは知らないが、プロ野球選手になったと聞いた。所属は南海ホークスである。どのような選手であったかは知らない。4,5年は在籍したのであろうか。主に二軍というか二軍でしか出ていないように思う。プロ野球選手に間近であったことがないので、プロ野球選手がどういう体型なのかわからないけれど、Nが引退した後、道端でであったことがある。子供の時以来、久々に見た彼は大きかった。175㎝に満たないくらいの背丈ではあったが二の腕は太く、胸板は厚かった。薄い私の胸の優に倍以上の厚みがあった。太ももはパンパン、はち切れんばかりの太さであった。(太もも回りは55㎝くらいある感じ)。ボディビルダーではないの太ければいいというものではないだろうけれど、パワーヒッターらしく筋肉隆々のようすで高い体温の熱量がじわっと伝わってくるようであった。 あれはいつだったろうか。もう十年以上前のこと、帰省した折に母から聞いた。 Nが亡くなったと。 まだ、若い。それこそ50歳にもなっていなかったと思う。 引退後、どのような暮らしをしていたかは知らない。実家は米屋で、引退後、しばらくは米屋を手伝っていたようだけれど、その後、どうしたのか。この話を聞いた時点で、実家の米屋はとうの昔に廃業していた。 死因はなんだったのか、覚えていない。聞いたかもしれないし、わからなかったかもしれない。ただ、50年も生きられなかった人の人生を思うと、なんだか…。 長生きをしたからといって、何かを成し遂げられるわけではない。けれど、老眼や難聴や白髪を経験することなく、若いままの死はなんだかなぁ、と思ってしまう。 老眼となり聴力が低下し白髪も増えつつある私は、さて、どう生きていこうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.05.23 07:00:11
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