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2023.06.01
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テーマ:アイドル(1088)
エッセイ「人間50年、その後…」⑭

私のアイドル史
今から50年ほど前になるだろう、どうして買い始めたのかわからないけれど、小学5年生になった私は芸能月刊雑誌「明星」「平凡」を買っていた。
テレビで、真理ちゃんこと天地真理の番組を見ていたが南沙織が「十七歳」でデビューし、小柳ルミ子の「私の城下町」もヒットしていた。郷ひろみの人気と「ひなげしの花」のアグネス・チャンが特典ポスターとして付録についていた記憶がある。
幼い頃、気になっていた女の子がいたようだけれど、初恋の相手を認識したのも小学5年生のこのころ。「明星」「平凡」の読者相談のコーナーで“告白できなければ男じゃない”といったコラムに触発されて告った。結果は返事をもらえないまま、バレンタインデーにチョコを渡したり、とんちんかんな行動をしていた。
さて、私の初めてのアイドルとしてはとびぬけた輝きを持った桜田淳子であった。森昌子を輩出した「スター誕生」を知り、毎週欠かさず見るようになって生まれた新人が桜田淳子であった。山口百恵の記憶はない。桜田淳子はレコード大賞最優秀新人賞を受賞し、翌年、新設された(と思う)2年連続活躍した期待の新人に贈られる金の鳩賞も受賞した。演歌調の歌を歌う森昌子に対し、明るく明るくポップスを歌う桜田淳子は彼女の歌詞にもあるように正しく天使であった。森昌子・桜田淳子・山口百恵の花の中3トリオは日本中の大人気アイドルだったと思う。レコードは買わなかった。レコードプレイヤーはあったのかな?ステレオはなかったと思う。しかし、映画は見に行った。トリオが出た映画は家族で、桜田淳子主演の映画は一人で見に行った。ダントツの人気を誇った桜田淳子であったが、いつしか、山口百恵が映画のみならず楽曲でもトップに顔を出し、三浦友和とのゴールデンカップルを解消して別の相手役を持つ頃になると、歌手としては唯一無二の存在となっていた。百恵ちゃんのターニングポイントはドラマでは「赤い疑惑」であり、楽曲では「プレイバックPart2」であろう。そんな時流だったのか、なぜか山口百恵だけが私の地元の市民会館に単独コンサートを開き、高校生だった私はおこづかいをはたいて初めて生の芸能人を見に行った。
小さい市民会館で真ん中よりやや前目の席だったので百恵ちゃんの顔は良く見えた。ロングスカートの彼女は素敵に見えたけれど、黒の革の上下のパンツ姿は太ももがパンパンだった。
若手アイドルが公演に来たのは後にも先にも彼女くらいだった気がする。
少し戻るが小学生から中学生にかけて大ファンだった桜田淳子であったが、金の鳩賞のあとは百恵ちゃんの人気や次から次へと出てくるアイドルラッシュにかすんでいったのかもしれない。「スター誕生」はその後も見ていて伊藤咲子のデビュー「ひまわり娘」で声量のある歌声に惚れ「木枯らしの二人」にしびれた。こうして題名がすらすらと出てくるあたり、相当見聞きしていたんだなと思える。その後、誰かいたような気がするけれどその娘の記憶は抜け落ちていて、いつしか「スター誕生」を見なくなった。ゆえにピンク・レディーのオーディション時は知らない。日本中を席巻した「ペッパー警部」で一躍トップに躍り出たピンク・レディー。私はミーちゃん派であった。ピンク・レディーを生で見たことはないけれど、解散して後、ソロで歌っていたミーちゃんを見に行ったことはある。
何人もの名をあげたけれど、私のアイドル史としては桜田淳子の次は榊原郁恵であった。榊原郁恵も高田みずえと清水由貴子の三人娘の一人だった。ころころした感じの榊原郁恵の何が良かったのかよくわからないけれど彼女のシングルは買った。アイドルで初めて買ったレコードであった。やはり郁恵ちゃんの笑顔がよかったのではないかと思う。桜田従子のレコードは買ったことはなかったけれど彼女が出した書籍のようなものは買い、日記なのかエッセイなのか、いまでいうブログのようなものを誌面で読んでいた。
さて、郁恵ちゃんのあとは芳恵ちゃんである。柏原芳恵の「春なのに」も買った。このころには家にステレオがあった。彼女の切なそうな顔に惹かれたのかもしれない。
こうしてみると、小・中学生で桜田淳子、中学生で榊原郁恵、高校生で柏原郁恵と変遷してきたようだ。そして、大学生になると中森明菜となる。「少女A」でのブレイクで良く知られるようになり私も知った。「セカンド・ラブ」で明菜にはまりアルバムを買い、シングルも買った。ただ、マッチ(近藤真彦)とのいざこざで興味をなくしていった気がする。いつまでファンだったのかなぁ…。明菜も復活した時にディナーショーなど見に行ったけれど、思った以上に声が出なくなっており生歌を聞かせるには精彩を欠いていた。全盛期に聴きたかったなと思えた。
女性アイドルばかりで男性はどうかと問われると、小学生の時には西城秀樹を熱唱していた。高校生の時は、アリスのレコードを買い、大学生では安全地帯のCDを買って聴いていた。
そして、中森明菜以降、特に誰かにはまったことはないと思ったが、思い出した。
オーディション番組が好きなので、アサヤンを見てモーニング娘を応援していたな。初期メンバーに思い入れがあって、福田明日香が脱退の時にはショックを受けた。
その後はテレビCMで板野友美を見かけて、この愛くるしい娘は誰だろう?と検索してみるとAKB48に突き当たり、AKB48ブームに乗るようにファンクラブにも入った。しかし、劇場コンサートは一度も当たらず、見に行けず。武道館コンサートを二度ほど見て、初めての東京ドーム公演から数回、東京ドームに行ったくらい。握手会は一度も参加しなかった。けれど、ともちんがソロデビューした際にはソロライブに応募して、子供と二人で二回、見に行った。いずれも子供の名前で当選。私の名前で当たることは終ぞ一度もなかった。そのAKB48に対抗して乃木坂46が出てきたときには乃木坂46なんかAKB48ほどは売れないと思った。しかし、乃木坂46の運営力の強大さ、劇場公演がないのでAKB48ほどメンバーが疲労することもなく、その分クオリティの高いものが提供できるのか、不祥事などでAKB48が叩かれたり、秋元康が手を引いてからはダメダメな組織になっていった気がする。
AKB48に関してはJKT48までが栄光であったと思える。その後のアジア制覇の構想はSNH48の運営者の謀反により、ノウハウを盗まれ、断絶した時についえたと思える。AKB48のテコ入れは、ドラフトなど何かと行われたが、全国的知名度のあるピーク時のメンバーが卒業していくにつれ人気は薄らいでいったようだ。
乃木坂46も齋藤飛鳥の卒業で初期メンバーが一人もいなくなったので、今後の人気が心配である。
横道にそれてしまったが、今のところ私のアイドル史はともちんが最後である。





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最終更新日  2023.06.01 07:00:08
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